泰山木 創刊準備号  (1999.04.01)



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情報誌の提案 内田 泰明
−天野成之 「河合塾という予備校で漢文を教えています」  
−内田 「僕は君の弟と同じ山岳会で山に登ったり、クライミングを楽しんでいる。海津正彦君も一緒だよ」
−大澤康介 「亜麻を作って羊を飼ってViolinを奏いて星をながめる百姓生活です。立高の泰山木の花をもう一度みたいなァ」
−内田 「下川正和君も那須のふもとに土地付き農家を買って、これから本格的に農業をやると言っている。僕らの心のそこにはそんな価値観が流れているのかも知れないね」
−土橋治雄 「最近、バードウォッチングで多摩川や浅川の河原を歩いています」
−内田 「僕は浅川の土手をジョギングしていますが、夕方、バードウォッチングしている人を何回か見かけましたがあなただったのですね。そういえば昔のあなたの面影はありましたね」
−坂本正司 「スターレットの開発担当主査をやっております。新型の開発が終わった所で、一段落しております」
−内田 「あなたの乗ったヘリコプターの墜落事故は大々的に報道されました。そして前回新宿で開催された同期会があなたと会った最後の同期会になってしまいましたね。心からご冥福をお祈りします」
−法木和子 「一人娘も大学四年生となり・・・・・・・・」
−三浦苗子 「親達が年をとってきているので上京するのはなかなか困難で・・・・・」
−高島禮子 「親の介護に心の痛む毎日です・・・・・・」
−榊正子 「『老夫婦』でフランスの田舎にでも行こうかと思いめぐらしつつ・・・・」
−柿原満津子 「昨年は主人の病気・入院、病弱な実母との同居と、大変な一年でした」
−相原忍 「初めて息子とバイオリンの合奏をします・・・・・」
−菊地公子 「『更年期』と闘っています」

これは前回の同期会に、出席できなかった人たちから出欠とともに寄せられた便りのほんの一部です。社会の重い地位に就いている人、さらに輝こうとしている人、今までの輝きを断ち切って違う輝きを求めた人、宗教活動をしている人、親の介護をしている人、病気療養中の人、亡くなった人、まさに『人生のサンプル』として届けられたさまざまな便りは、残念ながらほとんど誰の耳にも達することなく、数年が経過してしまいました。

そしてさらに数年が経ったとき、あの時の便りのままでいないかもしれない。
会社をやめたかもしれないし、勤めを変わったかもしれない。
生き生きと輝いているかもしれないし、そうでないかもしれない。病気が治ったかもしれないし、病気になってしまったかもしれない。
さらに考えると・・・・・・。
秋山恵美子さんや大野春樹君のコンサートの紹介もしたいし、海津正彦君や木村富美子さんの本も紹介したいし、酒井邦秀君のイギリス便りも載せたいし、みんなの身辺情報を送ってもらってそれを載せたいし・・・・・などなど。
つらつら考えるとそろそろ五十代半ば、同期の間のそんな情報誌があってもいいかなと思う年齢になりました。






2003/08/30 国立ロージナ・他 写真:野崎晴美



 

らぴでーる

インタビュー:尾崎成孝
 根岸にとってのジュエリーは自身の美術的表現のひとつで、結果的にジュエリーのプロであることには違いないものの、当初からジュエリーを極めようとか、ジュエリーに目的を絞って進んでいった、といったことではなかったようです。

写真:岩野浩二郎