徒然:「正解」            2004216          戻る

 

清水 貴さん、みなさん、

 

先日の写真は 奈良・飛鳥園代表 小川光三 大先達 の仕事です。

父上 小川晴暘さんは78年ほど前に この「はんかしゆい像」を 世に送りました。

大傑作。

名カメラマン父子です。

 

おおよそ 80年前・父晴暘さん撮影の [ はんかしゆい ]

 

はんかしゆい小川晴暘

 

 

 

-----元のメッセージ-----
差出人 : shimizu [mailto:haybuiss@mtc.biglobe.ne.jp]
送信日時 : 2004年2月15日 14:26
宛先 : 早川 正洋
件名 : 弥勒菩薩像

 

早川さん

弥勒菩薩さまを見ました

ご自分で撮影したものでしょうか

光の当て方が赤松を見せてうまいものですね

韓国にもこれとそっくりの弥勒さまがあるそうですね

 

「はんか」とは腰掛けているということでしょうかね

美しい仏さまは何を思惟しているのでしょう

 

まだ好奇心のかたまりで、疑問文ばかりですが

見せてもらえたことはありがたいことです

清水貴

 

 

 

[] 和風ということが えらく気になっています。

どこから どのあたりで わたし達は日本、日本風、和風と 感じるのだろう?

弥生の生活から、渡来びと達の知識や技術 仏教全体 仏像、仏具などが移入され 

大伽藍、堂塔、が建てられます。

それから、わずかの期間に 帰化した仏師達は「和風」を ものするのです。

 

適当な例になりうるか、どうかは分かりませんが

次に四点の ほとけ様を ご覧ください。

 

わたしには「風土」が この微妙な「和」風を生んだように感じられるのです。

興福寺の阿修羅ほか、法華堂・三月堂の月光、日光(がっこうじっこう)、戒壇院の四天王など、

あきらかに 大陸、韓半島のものと にほいが違うのです。

広隆寺の「はんかしゆい」は 日本で作られたと、思いたい。 

ただの はやかわの願望にしか過ぎないだろうか?

 

広隆寺 成立時代背景

283年弓月君・ゆつきのきみ、が百済より帰化。のちに波陀(秦)の姓・かばねを賜う。

471年秦酒君・はたのさけぎみ、禹豆麻佐・うづまさ(太秦)の かばね・姓を賜う。

593年聖徳太子 摂政の宮となるとなる。)

秦の河勝 今の右京区 映画村のあたりを所領して、

603年蜂岡寺(広隆寺)を建立します。推古天皇の時代です。

 

 

@ 中宮寺菩薩像(伝如意輪観音)

 

 

A 広隆寺・弥勒菩薩像

 

 

B韓国中央博物館弥勒菩薩像

4枚 撮影者は 不明です。

C 雲崗石窟交脚菩薩像

 

 

 

昨日 広隆寺の[ はんかしゆい像 ]が 渡来と思われる、と 述べました。

仏師は渡来びとであり 赤松も韓国産であるが 日本で製作されたと考えるのが「正解」と 

思いたい。

 

半跏思惟像はんかしゆい襞衣・背面の左のリボン状の部分が楠材で作られています。

この部分は 後で付けられたとも考えられますが、背板、内刳・うちぐりの蓋が 楠材で

作られており 後で補修したり、取り替えられた形跡がない、と 言うことからです。

(繰り返しますが、朝鮮半島にはクス材がありませんでした。)

 

半跏思惟像はんかしゆい全身

:小川光三撮影 カラー2枚共