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小柴迪恵

 本書は、ニュージーランドの有名な登山ガイドであるロブ・ホールの率いる、エベレストへの営業登山隊に、その営業登山隊の実態をレポートするために顧客の一人として参加した筆者が、はからずもその下山途中で遭遇してしまった、一九九六年五月十日〜十一日の十二名もの大量遭難のまさに、その渦中からの詳細なレポートである。
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 ここ十数年にわたって増え続けている営業公募登山隊とは、登山のパック旅行のようなものである。したがって、従来の登山隊のような、信頼関係に基づいた人々とパーティーを組むとか、ザイルでお互いを結び合うということもない。
 顧客は参加費用を払うことにより、登山中の行動に関する一切の判断や決断をそのガイドに委ねる。その見返りとして、ガイドやシェルパに完全に衛られ、助けられて、考えられる最高の条件の下で、エベレスト登山が出来るというものである。
 ただし、これは良いガイド会社を選んだ時のことであるが、この点ロブ・ホール隊は、ガイド会社として最高に位置するもののようである。
 筆者は、この隊に八人の顧客の一人として参加し、このような登山の営利事業化と、付き添いガイドやシェルパの問題点などを、遭難時の克明なレポートとともに考察している。
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 私がこの本を読んだきっかけは、この隊にやはり八人の顧客の一人として、大学時代のサークルの後輩の難波康子さんが参加していたためである。
 彼女とは、この出発の三ヶ月前、ある会で一緒になり、その時彼女のエベレスト行きが話題になったのであるが、彼女いわく「恥ずかしいから言わないで下さい」と、本当に恥ずかしそうにしていたのが印象的であった。
 その後、彼女の登頂の成功が新聞にも大きく報じられた。エベレストの女性登頂者の最年長記録(四十七歳)を作るとともに、世界七大陸の最高峰、いわゆるセブンサミッツをこれで全て登頂した二人目の日本女性登山家として、あのおとなしい彼女が、今後どのような活躍を見せてくれるのか、とても興味を持ちながら、その成功を喜んでいたのである。 しかし、その翌日の報道で一転、遭難となってしまったのである。
 本格的な登山経験など全くない私は、この地球の最高峰八八四八メートルの高さが、気圧調整をしながら大空を切り裂いて進むジェット旅客機の巡航高度と同じで、そこは絶えず秒速六十メートルを超すジェットストリームの烈風にさらされている、ということを知り、そこまで人が登るということは、どういうことなのかを知らされ、読みながら何度も何度も息を詰め、息苦しくなり深呼吸を繰り返しながら読み進んだ。
 そして下山途中に、天候の急変に遭い、九死に一生を得て第四キャンプにたどり着いた筆者にもなり、酸素ボンベが空になり、動けなくなって必死で連れて帰ってとガイドにしがみつく難波康子さんにも、それをおいて振り返りもせず進むガイドの気持ちにも通じ、頂上近くで動けなくなった顧客に付き添い、混濁した意識のなかで、届くはずのない酸素ボンベを待って動こうとしない隊長のロブ・ホールにも、無線機にしがみつき「一人で降りてこい」と必死で叫ぶベースキャンプの人々、さらに、任務を果たすべく生命を落とすとわかっていながら再び酸素ボンベを届けようと登っていったガイドやシェルパ達にも、そして、傍らの遺体を平然と一瞥し、動けなくなっている人をまたぎ越していく人々にも気持ちを通わせながら、まさに死を背負いながらの行動を、実際に登った以上に詳しく誌上体験することが出来た。
 また本書は、全行程を追って二十二章からなっているが、各章のはじめに著名な登山家や冒険家の本の抜粋が効果的に配され、本全体にレポート以上の深みを与えている。
 読みながら、ふと、「訳者も登山家なのかしら」と訳者名を見て、高校の同級生に似た名前の人がいたことを思い出した。さっそく名簿を見て、確かめてみると、やはり同姓同名であった。
 もしやと、八王子在住の人に確かめて初めて同級生の海津正彦氏であることがわかった。アメリカだけでなく、日本でも大ベストセラーになって欲しいと願っている。    (旧姓=薄井)

文芸春秋社刊・¥1762+税
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