index
個人を偲ぶ

上園玲子さんの思い出

山田素子

 上園さんが亡くなってから二年余、彼女が働いていた公民館に行くと、いまだに彼女の姿を探してしまう。
上園玲子さんは、二年前の冬、「散歩に行ってくる」といって家を出て、そのまま帰らぬ人となってしまった。御家族の方の驚きと悲しみは、いかばかりかと思うが、日頃彼女と接していたみんなが、突然の死に言葉を失ったものだ。
 彼女は立高卒業と同時に小平市役所に入り、三十数年、庶務課、水道課、市民課と移動し、最後の職場が公民館だった。「いい職場なので定年までいられるものならいたい」と言っていたのに、残念に思う。
 たまたま、私が隣接の図書館に働いていたので、時々お茶を飲んだり、彼女の担当の講座に必要な本探しを手伝ったりと、それまでより会う機会が増えていた。講座に来る若いお母さんたちに圧倒されて、「子供を持ったことがないから……」と弱音をはくこともあったが、いつも一生懸命だった。
 「仕事が続けられていいわね」という私に「長くいるだけ……」という言葉が返ってきたが、「継続は力なりよ」というと嬉しそうに笑っていたことがあった。
 真面目できちょう面だった彼女にとって、長い役所勤めの間には、同僚や上司とぶつかったり、思うようにいかず、いらいらしたことも多くあったに違いないのに、あまり愚痴をこぼしたことがなく、会えば笑顔を絶やさない楽しい人だった。
 ご冥福をお祈りします。 (旧姓=奥住)
藤田宜正

 上園さんの突然の訪問を受けたのは、私が立高卒業後まもない頃でした。高校時代、特別親しかったわけでもない彼女の夜分の訪問に、私は少なからぬとまどいを覚えました。
 そして彼女が私に語り続けたことは「キリストの愛」についてでした。
 これには正直なところ鼻白みました。
 後年知ったことですが、聖書に「種を蒔く人」のたとえがあります。そのたとえにならえば、私は社会主義思想のいわば洗礼を受けた者、言ってみれば岩盤に種を蒔くにも等しいことでしたでしょう。「神だって?」
 私は議論すらする気にならぬまま、爪切りを取り出して指の爪を切り出していました。
「どうしてあなたは神の愛に気がつかないのですか」そう言って私に迫る上園さんの目には涙があふれていました。疲れた夜でした。
 しかし、実は私は「自我は消滅する」という唯物論の根源的ともいうべき命題を受け入れ難く、苦しんでいました。あの時、あなたは私の中に「種」を投げこんだのですね。
 それから二十年以上もたった後に、私は自分の中の「キリスト衝動」に出会いました。
 上園さん、あなたが亡くなる少し前に電話でお話ししましたね。その時私が「私もキリスト者です」と言ったら、あなたは実にほがらかに、嬉しそうに笑って祝福してくれましたね。私は忘れないでしょう。
そしてあの頃の私に「キリストの愛」を説いたあなたの蛮勇、いや「宣教者の純心」は今なお私が見上げてやまないものです。安らかにあってください。

個人を偲ぶ
index