index
個人を偲ぶ

坂本正司くんの思い出

長沢嘉一

 『坂本を偲ぼう』という藤田君の呼びかけもあって、藤田君夫妻、富田君、清水君、久保君、剣道部同期の下川君、山田(旧姓奥住)さんと連れ立って青梅の彼の実家を弔問した。御家族にもお目にかかって、家庭人、企業人としての彼の生き様を伺うことが出来たが、その姿は我々が立高時代あの道場で、合宿で、立高祭で、最後のファイヤーストームで見てきた姿そのものだった。彼の剣捌きと同様、真っ直ぐで、剛毅で力強く、そのくせちょっぴりせっかちな……。
 あらためて、早逝した好漢坂本正司君のご冥福を祈りたい。今、札幌の我が家に彼の写真がある。彼が責任者として「スターレット」の開発に全力を傾注していた当時のもので、彼は北海道が大好きだったという奥様の話を伺い、札幌赴任に際しいただいてきたものだ。あいつらしい笑顔は変わらないでいる。

●坂本君の略歴       藤田宜正

 立高では剣道部主将として活躍。東工大四年生の時には「関東国公立大学剣道大会」の個人戦で優勝を果たす。卒業後トヨタに入社。
 一九七一年、克子さんと結婚。一九七三年、一人娘恵美さん誕生。その愛嬢恵美さんも今や上智大学大学院生、外国語学研究科で言語学を学んでいる。
 娘さんの成長を見守り、家族の幸せを願って真剣に生きてきた坂本君は、仕事の上でも重責を果たし、前回の同期会の会場では、開発担当主査として陣頭に立ち完成させた「新型スターレット」について熱く語っていたのを覚えている方も多いだろう。
 一九九六年一月二十四日、仕事で静岡県東富士の研究所から豊田市へ戻るヘリコプターの墜落事故により死去。野武士のような風貌とどこまでも優しい心根を持った男は、最後まで正眼の構えをくずすことなく、裂帛の気合とともに幽冥の境を踏み越えて行ってしまった。

個人を偲ぶ
index