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個人を偲ぶ
 岩野 浩二郎
 打ち損じたソフトボールの打球が、ピッチャーとファーストの間をふらふらっと落ちていく。猛烈にダッシュしてきたセカンドが、両手ですくいあげるように、それをキャッチした。地面すれすれ、思いっきり前方に差し出された素手の両手と、そこにすっぽりおさまった大きなボール。そして、1塁ベースへ走る僕をかろうじてよけながらつんのめって行った、見知らぬあいつ・・・・色あくまで黒く、目がぎょろっとでかい、精悍な坊主頭。特徴あるその容貌は、転校して来て間もない頃の渡辺正宏だった。武蔵野二中。2年の秋の頃のクラス対抗試合のこと。
 次のシーンは、立高のプールサイド。水泳部へ入部したときだ。 人以上が立高に進学してきた同輩のなかにきみがいたこと、そして中学時代から水泳部にいた僕には、渡辺と立高、そして水泳とがまったく結びつかず、ちょっと驚いた。こいつ速いのかな・・と内心思いつつ、『きみは水泳をやっていたの?』と探ってみると、いや、泳ぐのが好きなだけだというようなことをポツリと、恥ずかしそうに答えた。少し訛りがあった。それが渡辺との初めての会話だった。
 その喋り方とは違って、渡辺の浅黒くがっしりした身体に、水泳部ご用達の空色のフンドシ (ちょっとエリートっぽくてマンザラでもなかったよ、なんせただの赤フンとはワケが違ったもの) が、きりりと似合っていた。まだ4月だというのに、入部したその日に泳がされたのだ。冷たいし寒いし初めてのフンドシだし、落ち着かなかったよな。まず、フンドシの締め方から教わった。ある先輩が、これ見よがし、いきなりプールサイドで素っ裸になって手本を示したのには、参ったよね。プールサイドにはいつも、テニス部の女の子たちがキャッキャッ行くというのにさ。他の新人を見渡すと、動作が実にキビキビして、人一倍の精悍な印象を発散していたのが、きみだ。
 しかし、同じ新人の鬼頭や三沢は初めから速くてかっこよかったけど、きみのクロールはぎこちなかったぜ。身体が硬く、ビートが強くなかったけど、きみはともかく練習熱心で、部活をほとんど休むことなく、黙々と泳いでいたっけ。そう、いつでも、かならず、泳いでいた。地獄の合宿でも、つらい顔やへこたれた様子をまったく見せることもなく、実にタフだった。
 やがてシーズンオフになり、晩秋から翌春にかけて
のトレーニングでラグビーに明け暮れるようになると、きみはまさに「水を得た魚」だった。実に華麗なステップを踏んで猛牛みたいに、ディフェンスラインを突破する。僕のタックルなどいとも軽くかわされ、なぜ、オカで魚になるんだ!と腹が立ったけど、サマになっていたなあ。とりわけ中長距離を走るときはスタミナいっぱい、どんどん強くなっていった。
 忘れられないシーンが、もうひとつ。それは、3年生の体育祭のハイライト1500m走だ。ゴール寸前、CF組の応援団長の扇を振っていた僕の前を、きみは黄色のCFの鉢巻を長くひるがえし、菅野くんと猛烈な2位争いを演じている。1位の韋駄天清水くんが悠々ゴールインしていった直線のラストスパート。逃げる菅野くんを、敢然と、きみは追いあげる。首を左右に振っていかにも苦しそうに走る菅野くん(それが彼のクセだ)との距離が、どんどん縮まって肩が並ぶか、と思う瞬間、さすが菅野くんが逃げ切った。そのシーンが、ゆっくりと目に浮かんでくる。清水くんも菅野くんも陸上部の本格的なランナーだったのだから、きみの健闘は、実にみごとだった。 
 ・・・・その体育祭のあったほんの数年後、まだ都立大学に在学中だったきみは、あっけなく、他界してしまったという。それは、まったく、信じられないことだった。なぜ?と呟いても、今ではそのわけを知ることはできない。
 渡辺くん。あんな闘志をぶつけていたきみにも、勝てぬことがあったのか。あの躍動感は、どこへ消えてしまったのか。

 実はつい最近、この『泰山木』を編集する過程で、渡辺くんの訃報を知った。ショックだった。そしてなぜか、最近もたらされたはずのその訃報がいつ、誰によるものなのか、どうしても思い出せない。訃報の事実そのものすら確認することがなかなかできないまま、ようやくそれが、もう 年以上もはるか昔のことであるのが分かって、さらにショックを受けた。ショックはそれだけでなかった。ひょっとして自分は、その 年以上も昔に、誰かから渡辺くんの訃報を知らされていたのではなかったか。それをつい最近のことであるように思い出したのではないか・・・・という、奇妙なデ・ジャブ感覚に襲われたのである。それは、なんとも、やりきれないことであった。

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