index
私の心に残っている大村建君
小柴迪恵

 前号の“泰山木”の訃報ページに、内田君が故大村君のことについて書かれていました。その中で、私の心の中にある風景とは少し違うなと思われるところがあり、皆さんにもぜひ知っていただきたくペンをとった次第です。
四十年近くも前のことになり,思い出すことも限られてきていますが、そんな中でも、大村君は、お父様については、“おやじはね”と言う言い方でよく話していたと記憶しています。「おやじはね、オレ達息子に剛 ・健(ごうけん)とつけたんだよね。でももう一人生まれて、“レン”とつけたんだよね」と言われたのが今でも印象深く心に残っています。
また,二年か三年の夏休み、大村君から誘われて、お父様の医院(病院)の慰安旅行にご一緒した事がありました。お父様を中心に看護婦さんや職員の
方々と車座になり、おにぎりの昼食をいただきました。私はこの時のお父様の印象は、特に何も覚えてはいませんが、同行した友人は、詳細に記憶していました。彼女によると、「お父様は、大村君にとても気をつかっているようだったし、私達息子の友人に対してもとても優しく気遣いをしてくださった」との事でした。
大村君の告別式の際にも、お父様が「息子は体調が良くないと訴えながらも自分で体調を整えようと、ジョギングをしていたが、医者である私が見つけてやれず本当に悔やまれます」と涙を流しておられた事などをも考え合わせると、お父様の暖かな愛情の下で、お二人の間には、むしろ普通の親子以上の強い絆があったものと考えられます。
いつの日か、私もお墓参りが出来たらと思っています。     (旧姓=薄井)
index