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個人を偲ぶ
山田早苗さん
あまりにも短くて・・・
 浅井 民子
 山田さんから手紙が来た。高校一年を終えた春休みのことだった。「来週の水曜日に遊びに行く」何かが「完成した……」という。
 一人で一方的に日時を決めて「……行く」なんて珍しい。いつも、何事も「どうする?」「そうねぇ」といった調子の私達だったから、電話ではなく、一大決心のように書かれていることに驚いた。が、そんな書き方が面白かった。
 水曜日、彼女は春休みに入ってから編んだという手の込んだテーブルセンターを持って訪ねてくれた。それは目を瞠るほど見事な出来映えで、私の部屋を晴れやかに飾った。
 その日、長い春の一日が暮れようとする頃まで次から次へと話し続けたことを思い出す。その中でも、彼女がいたく感心した様子で話したことは、親元を離れて受験勉強するある高校の女生徒のことだった。
「一人で下宿し、勉強をし、気分転換に食事を作り、掃除洗濯をしてと、何でも一人でこなしているのよ。勉強はこうでなくちゃ。こんな風に受験したいわね。でもなかなか難しい。」と同じ高校生として熱をこめて語っていた。彼女なら、もちろんそれが出来ただろう。
 非常に聡明で大きな可能性を持った、そのうえとても謙虚な人だった。人が、何をどのように話しても受け止めることができ、相手をのびのびとさせる雰囲気のある人だった。ゆったりとした口調、低めの声、軽やかな少し押さえた感じの笑い声が懐かしい。
 二年生も同じクラスそして同じ編集部だ。彼女がなぜ編集部に入ったのか、今はもう憶えていないが。
 二年生の夏休みも終わりに近い日、訃報を受けた。病のために、十七歳直前だった。夏休み、彼女は家を離れ伊豆で療養生活を送り、私は旅行中で会うことができず、手紙のやりとりだけだった。最後の手紙は、亡くなる三日前のものだったそうだが、私は受け取っていない。「投函する時間もなく」と。
 大きな衝撃を受けた私に、さらに精神的に負担をかけてはいけないという御両親の配慮から、「その手紙は早苗に持たせました」と語られた。残る日々を、何を思いどのように過ごしたのか是非知りたかったが、それもかなわぬ事となってしまった。
「かけがえのない友人を得たがそれも束の間、失くしてしまった」そんな思いで秋を過ごした。やがて大気が冴え冴えとして木枯らしが吹く頃、本の中に見つけたものは「神の愛でし者……」の言葉だった。

 十六期で山田さんを知っている人は多くはないと思う。彼女は、上園玲子さんと同じ中学で、住まいも近く、編集部も一緒で二人は親しかった。上園さんが亡くなられた今、私が思い出を語ろうとペンをとった。
 人柄や可憐な姿が彷彿とするように書きたかったが、思い出より私の思いばかりになってしまった。
 山田早苗さんが立高生であったのは、入学式から二年生の夏休みまで、一年五ヶ月にも満たない。あまりにも短かった。

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