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個人を偲ぶ
本郷純一君を偲ぶ
 花岡 祥司
 本郷純一君の訃報を彼の弟さん(立高の3年くらい後輩)から受けたのは、1996年の6月末であった。
 50歳の若さで往ってしまったのは友人として驚きとともに、なんともやり切れない思いであった。柏で行われた葬儀には同級の和田友夫君といっしょに行ったが、高2時代の担任の秋山先生が見えていて、先生も大変残念がっていらっしゃったことが思い出される。
 彼とは小、中学校(武蔵野市立井之頭小学校、武蔵野市立第一中学校)を通じ同窓であったが、クラスが違ったので顔を知っている程度の馴染みであった。しかし立高に入って3年間同じクラスで過ごし、共に「よく学び」というよりは「よく遊び」の方だったので、親しく付き合わさせてもらった。よくいっしょに出かけたりしたものである。
 たしか高2の夏、今井幹夫君、川北五郎君、平山廸義君、長谷川秀行君と共に奥多摩の日原でキャンプしたことが懐かしく思い起こされる。飯盒の火を囲んで立高数え唄を歌い、星空を見上げて青春を語り、翌日は雲取山に登山。彼がハイペースで皆の先頭に立って登って行った姿が目に浮かぶ。
彼は立高では1年で野球部、2〜3年で水泳部に所属していたが、プールサイドでの青フン姿の雄姿も絵になっていた。そんなスポーツマンの彼が若くして旅立つとは・・・・・。
 彼との付き合いで忘れてならないのは「魚釣り」であった。なにしろ彼との釣行は現在の私の趣味「海でのボート釣り」のオリジンにもなっているのだから・・・。いっしょに立高裏の多摩川に出かけ、玲瓏の水(当時)に香魚「鮎」を追い求めた。釣果は多くはなかったが、時に釣れる鮎の西瓜に似た香りを楽しむ彼の満面の笑みも忘れがたい。
 何年か前、皆で久しぶりに集まった飲み会で釣りの話に花が咲き、「今度ボートで釣りに行こう」と別れたが、果たせず旅立ってしまったことが、今となっては心から悔やまれる。
 立高卒業後、彼と共に早稲田大学に進学したが、時々キャンパスで会い授業の合間(?)に牌を積もったものである。勝負が長引き、私の家に卓を移しての延長戦、夜も白んでの猛連チャンにたばこも切らし、シケモク拾って聴牌たばこと、時を忘れて中国語の勉強に励んだ日々も懐かしい。
 シャイな彼は、始め勝っていても最後には皆に還元するような人の良さをジャン風にしていた。もう一度、川北、平山、阿波田、和田君等と卓を囲みたかったのに・・・・。
 大学卒業後、彼は日本勧業銀行(現、第一勧業銀行)に就職し銀行マンとして活躍したが、仕事がら数年に一度の転勤で、首都圏各地の支店で営業活動に邁進していた。そして、奥様と子供さん2人の家族の大黒柱として、温かい家庭を築かれたようである。残されたご家族の気持ちを思うと胸が痛む。今となっては、ただただご冥福を祈るばかりである。

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