編集後記      
短きより長きへ

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■まず詠める……
ビバ!還暦。
辛き世の長き道のり
ん″と耐えし
玲瓏の水の
清きを糧に
(村井智恵子)
■また言い訳にならん言い訳
 去年から急に出張が多くなって、編集委員の名を汚す存在です。
みなさん、もうすこし待ってね。
もう少ししたらいろいろできるよ
うになると思う… 
 (酒井邦秀)
■第三次世界大戦が始まっている
 今年の年賀状にも書きましたが、「第三次世界戦争」は既に始まっている、我々の世代が未来の世代の地球上での生存権を収奪するという形で。自分の立てるところに立って、小さくともいい。声をあげていきたい。
 (藤田宜正)
■集山木をもりあげよう
 いよいよ、みんなで、なかよく、還暦だ。老槍に、智慧を寄せ合って、泰山木をもりあげよう。実際には何も編集できなくても手伝いはいくらでもできます。ロージナにいるだけでも同窓会気分になれました。まだ参加したことのない人、是非観に来てください。
(清水 貴)
■突然の入院生活だった
 昨年の夏、手術するからと突然に医者から言われて3週間ほど入院生活を余儀なくされました。還暦を控え身体の手入れを怠っていた罰として入院を甘受し、今後の生活の基準を仕事から健康に転換する良い機会とも患い、近くの病院に入りました。無事退院、こうして何かを書けるということがどんなに幸いなことか今頃やっと気づいた次第です。
(中島 進)
■確かに還暦なんですが……
 同世代かな、と思える人たちと話していて、「私たちは来年、還暦同窓会よ」  「えーっ、私たちもよ」などということが多くなりました。まざれもない還暦年代です。ただ還暦同窓会という言葉は、なんか疲れた感じ。歳を重ねていくことが素敵なこと、美しいこと(昔はそうだったのです、長寿が珍しかったから) と患えるような言い換えができないかなと頭をひねっているのですが。
 (松本節子)
■立高16期のHPにこんな投稿が
清水(貴)さんに教えていただいて立高のHPの掲示板を覗いたら、こんな書き込みがありました。
「はじめまして(投稿者:46期生 投稿日:2005/03/23) 高校46期生です。来月同級生の結婚式の余興で伝統歌を歌おうかということになりまして、「二高校歌」で検索したところ当ページに出会いました。30年も違う代の先輩方が今でもこのように交流されていることをなんだかとても嬉しく感じ、楽しく拝見させて頂きました」
ですって! これを読んだこちらの方が、もっと嬉しくなりました。 
 (若井千鶴)
■光年の瞬の中の身初日燃ゆ
 昨年還暦を迎えた僕にとっては、今年の正月は一巡りした初正月でもありました。そんな正月の朝、朝日新聞の 「折々のうた」で冒頭の旬を目にしたのです。今年は、いやこれからは、この 「光年の中の瞬」を大事に大事にして生きていきたいと思っています。と書きつつ、目の前には片づけねばならない 「宿題」 が山ほどあり、これまでのモットー「明日できることは明日しよう」を改め、これからは「今できることは今しよう」でいこうと思っておりますが、さて。今年は還暦同期会。懐かしい顔を思い浮かべて、今からワクワクしています。
(片山布目伎)
■時計を止めて
 ブラジル人の歌手G・スサーナが、「時計を止めて」と歌う。この歌が私は好きだ。大野春樹さんもこの歌をラテンライブでよく歌って聞かせてくれる。ならば、私が60になるこの4月の前に、時計を止めて…とは思わない。むしろ、そのときの来るのを楽しみにしているのだが。それに奇しくもというのか、己の身に起こった環境の変化に、齢という節目を感じているものがある。思い切る、一切合切を捨てる。するとそこには、新しい芽が出てきている。過り遭って。それが還暦というものかなぁという心境である。チクタク・チクタクそれでも時計は時を刻み続けている。 
(藤田明恵)
■水泳を習い始めて
 そろそろ還暦という50代後半になって水泳を習い始めました。それまでずっと泳げるようになりたいと思っていたのです。始めはただ手足を勤かすことに精一杯でガチガチになり、泳いだ後、かえって身体がこってしまうということがありましたが、最近やっと力を抜いて、何も考えず、水に身も心もまかせている瞬間を感じられるようになりました。心地好いものですね。
 私達も今年は還暦。昔はその年頃になれば生きる知恵もつき、ゆったりとした気持ちで暮らしているのかなと思ったこともありましたが、未だに知恵もなくあたふたしたりしています。でも、だからこそ、時には水泳の時のように肩の力を抜いてゆったりとした気持ちで過ごそうと思っています。
(堀池美智子)
■言葉遊びの衰退を憂う
 中国では最近、四字熟語や慣用句をもじって広告で、「好色の徒」を 「好色の塗」 (良い色の塗料)などと宣伝するのは禁止されたらしい。誤った言葉を広めかねないからだという。
 待てよ、それって日本では昔から「パロディー」 「だじゃれ」 「言葉遊び」などともてはやされてきたではないか。言葉に対する日本と中国の考えの違いなのか。
 そこで、積み上げてあった新聞をひっくり返して調べてみたところ、あるわ、あるわ。
「逆風満帆」「彩時記」「新科論」「風考計」(朝日)
「解答乱麻」「旬発力」「無礼選盤」(産経)
 中国では当局のお各め間違いなしである。
 それはともかく、日本の学校では漢字の読み書き能力の低下が著しいという。とすると近い将来こういった青葉の遊びも下火になっていくのだろう。 
 (内田泰明)
■「お仕事拝見」の裏舞台
 「お仕事拝見」の取材を受けて、変わりばえのしない仕事場を裁てもらいました。鍔 (かぎり) 屋の仕事は地金を溶解し、金槌で打ち固め、ローラーで圧延し、板や線の部材を作る、まるで「村の鍛冶屋」 の世界です。
 それらの部材を切ったり、曲げたり、蝋付け溶接したり、キッタ!ハッタ!の連続です。2000年以前に金銀細工をしていた工人連の技法とほとんど変わりのない作業の中で、まして5000年以前には火起こしに使われていたロクロの姿とそのままの道具にドリルをセットし、穴をあけ、文字や文様を透している様には、きっとびっくりしたことと思います。
 時代に取り残された現実を認繊し、追い抜いていく若者達や、一つ一つ手伝って作業を進めて行く中年仲間を指導しながら、今日も金床をかかえ、金槌を握っています。
(根岸佑治)
■そろそろ気ままな人生を
 古島君の本の紹介をやっと書き終えました。経営学・経済学の専門書ということで、どのように紹介したちょいのか考え込んでしまいました。古島君、一年遅れになってしまい申し訳ありませんでした。この場を借りてお詫び申し上げます。
 ところで、「戦後60年」の文字が、今年はやけに早くからマスコミを賑わせている気がします。先日も、東京大空襲のTV番組が放映されました。われわれの多くは、8月15日の前後数ヵ月間に生まれた仲間です。この原点をしっかり見つめて生きたいと思います。
 ふと、過去を振り返って思ったのですが、私の場合は30年間勉強し、今年で30年間働いたことになります。もし、うまくいって90歳まで生きるとすると、あと30年です。人生を三等分すると、ここらで気ままな人生に移っていっても良いような気がしています。
  (山岸忠雄)
■「泰山木」のこれから
 「泰山木」も7年目を迎えました。16期生以外にもファンがいるというこの情報誌が、完成度の高いものになっている背景には、編集、出版のプロの人たちが、多大な時間を割いて関わっているという事実があります。もちろん、核をなすのは同期生が熱い思いで書いた原稿であり、皆の関心事の特集であったりで、例えれば、それらはダイヤモンドの原石のようなものです。それに磨きをかけ、傷があったら繕い、魅力的なものに作り上げてくれたのは、何人かのキャリアの持ち主なのです。ありがたいことですが、その方々に長く負担をかけるわけにはいきません。そして、その人たちの力なしには発行できないというのなら、それは、初めから何もなかったのです。人生の円熟期に入ったこれから、ダイヤモンドの原石はまだまだ沢山あるはず。体裁は悪くとも思いが伝わればそれでよしとし、もう少し続ける努力をしてみませんか。
  (岸本郁江)
■更なる出会いを
 編集委貞(名ばかりですが)として、16期MLのメンバーとして皆様と接してみてそれぞれが歩んできた道のりや歴史を垣間見ることができ、刺激を受けると共に感動、知識、パワーをいただいています。
それにみんな気持ちは青春臭っただ中! 情が深くて優しい方々ばかり、そんな同期生との係わり合いを楽しんでいます。
 高校生の境から、あの「泰山木」のように深くどっしりと根をおろして泰然自若とした意志をもちたいなぁ!などと、高木を見上げながら漠然と考えたものですが、あれから早40年余…意志の弱さ、努力不足は拭えませんが、でも、まだこれから、いつも今が一番!と信じて、皆と手を取り合い小さな輪から大きな輪へと、(和)が広がることを願って、どっかり腰を据えて年輪を重ねていけたらと思います。
 更なる出会いを大切に、6月の「還暦同期会」では一人でも多くの皆様と再会でき、旧交が温められますように、皆様是非参加いたしましょう。そして皆贈って笑顔で還暦を迎えましょう!
  (梅原幸子)
■16期仲間との映画鑑賞会
 還暦になるといいことは? 昔は年金生活者となるのが夢だったかもしれないが、今は映画を千円で見られるのが一番か。数カ月に1度、16期の面々で映画鑑賞会をやっている。篠田正浩の旧作「真田風雲録」、加藤泰のヤクザ映画の名作「三代目襲名」、男たちの人生を凝視した 「ミスティックリバー」、革命児ゲバラの青春を描いた 「モーターサイクルダイアリー」、古いフランス名商「天井桟敷の人々」など、選択はまったく恣意的。しかし、このうち「ミスティックリバー」と「モーターサイクルダイアリー」は、映画専門誌などが後に昨年度ペストSに選んでいたから、こちらの感度も錆びてはいない。観た後に一献傾けながら感想をぶつけ合う。いろんな人とみるといろんな発見があり、人生経験の違いがわかってより面白い。たった千円からの広がり。
 今号は特集なしで少し軽くしました。ネット上では同期のML、HPだけでなく新たにプログでの「TAISANBOKU]も開設され、「泰山木の会」は多様に広がっています。還暦過ぎたら一緒にあそば。
 (岩野浩二郎)
■新年早々、不恩義なご縁…
 編集会議への出席率はよかったものの肝心の編集の仕事は今回何もせず後ろめたい気持が強い私ですが、泰山木に係わっていればこその嬉しい出来事が新年早々にありました。
 「昨年父母の墓のある、あきるのの珠陽院で住職と話していたら田中さんと同期とのこと。住職のところにあった同窓会誌で知りました。」元旦に届いた年賀状の中の1枚。
 えっ?と思わず目を疑いまし
た。立高の先輩(立高2期)で私が20代のある時期勤めていた会社の社長からの年賀状でした。ご実家は当時吉祥寺にありましたのでお世話になった社長のまさかそのお寺さんがあきるのにある同期の生田さんのところだったなんて…なんという棲しい偶然でしょう!生田和尚には2年前の坐禅会で初めてお会いしたのですが、それがあったので和尚もクラスの違った私のことを覚えていてくださったのでしょう。お会いしたことのあるご両親でしたので、機会があったらぜひ珠陽院にお墓参りに行きたいなと思い、立高の糸はこんなところでも繋がっていたのかと、なんともほのぼのとした気分に満たされた年の初めとなりました。
 (田中蓉子)
■映画「美しい暦」
 またまた、泰山木発行の季節がやってきました。今回は、やっとふーちゃんの追悼文も書けました。3年かかりました。ふーちゃん待っててくれてありがとう。
 今回の河合美智子さんの「吉永小百合のロケが来た!」を読んで懐かしく思い出したことがあります。あの夏の日、ロケを見に行きたくてうずうずしてたのですが、男の子たちの余りのはしゃぎように、3Aの私たち乙女は無視を決め込んでいました。でも、夕方になって我慢しきれなくなり、それとばかりに、皆で見に行きました。確か、美術部の部室のあたりだったと思います。隣に立っていた、ブルーマーみたいなズボンをはいていた男の子に、「吉永小百合ってどの人?」と蘭いたら、「知らないの?」という呆れ顔で教えてくれました。
 秋になって、映画が完成し、立川の日活映画館にふーちゃんと親にいきました。小百合ちゃんを教えてくれた男の子が出ていました。映画の中で、文化祭の劇でロミオとジュリエットのロミオに扮していた浜田光夫でした。映画の題名は「美しい暦」 です。懐かしい夏の一日です。もう42年も前の話です。
 (山岸勝子)
■16期以外にもいる
「秦山木」フアン

 「泰山木」も7号の発行となる。私は、ただ、いつも傍にいるだけなのだが、皆のパワーの強さに驚き、その出来上がりに感激し、その中にいられた喜びを一緒に味合せてもらっている。創刊準傭号以来の 「泰山木」 のファンは15期の松坂先輩だ。彼らも同様のものを心に描きつつ実現しなかったそうで、私達に後れ2年後に彼の病床の中で15回をもじった名前の 「自由豪快@」を発行。そして、その継続を夢見た 「自由豪快A」が彼の亡くなった後、昨年に完成したそうだ。
 6号が出来上がりこれを喜んでくれるのは?と患うとき、なんと中学41期の大先輩が 「あの本は今年もできましたか?」と。早速さしあげると、私達の生活とご自分達のを重ね合わせるかのようにその場で読み始め、日を細めていた。きっと、今年の紫芳会でも催促されることでしょう。
 明日は八王子近辺での2月の行事「二ノ午の日」。商売繁盛・家内安全のお稲荷さんを祭る家の庭に、朝早くから五色の紙を張り合わせた長細い旗が青空の下にたなびく様子はとても美しい。子供達にとって何よりも楽しいのが、この日、子供達にお菓子が配られること。きっと明日は子供達が大きな紙袋を下げてお菓子をもらいに走っていることでしょう。
(野口住江)
■還暦雑感
 「有朋於液晶見、ROM三味不亦楽乎 (友ノ液晶こマミユルアリROM三味モマタタノシカラズヤ)」
 いよいよ今年8月で僕も還暦となる。これまでの約60年間、多少茨?の道の時もあったが戦地へ赴く?こともなく、おおむね平穏に過ぎてきたといえよう。しかしこれからの時間は集大成・収穫の時。「終わりよければ…」 の時でもある。
 何とかであれ自分本位で身体を動かせる時間はあとどのくらいであろうか。しかもその間の生活は必ずしも快適ではあるまい。日く年金先細り生活。日く高齢化。「あっちが痛い」 「こっちが痛い」などの身体の変調。介護など各種保険の増加傾向。まさに 「いのち長ければ恥多し」である。…しかし僕らにはこの広場がある。「泰山木という大きな環・和・話の広場」 である。しかも更に拡がりつつある。なんとも貴重な財産である。たった3年間しか一緒でなかったというだけの共通項の会であるが、今回で7号目。当時は見えなかったいろんなことが今となって様々なコミュニケイションの中で発見できる。この時にまた出会えて良かった、としみじみ思う。
 いつでも「ホッ」とできる「プラットホーム」 であって欲しいし、そうしてこそ「熟年・熟成の智恵」ではないか。
 今年度特筆すべきは中島さんのお陰でHPの画面上で泰山木を閲覧できるようになったことで、これはまことにありがたい。活字も写真も画面上で拡大が自由自在であり、高齢化に当たってのドンピシャの試みである (しかもカラーだし)。熟読玩味、ROM三昧にもってこいである。○○功労賞(高齢でも平気で賞)とかで感謝の意を表したいところであるがいかがなものであろうか。
(丹羽 豊)
■三宅さんと根岸さんを
取材して・・・

◎三宅さん
 私は三宅さんとは、高一、高二と二年間同じクラスでした。三宅さんは、内には常に情熱的なものを秘めつつも、平素は静かで落ち着いた雰囲気でしたので、当時の私にとってはお姉さんのような存在でした。
 二十代半ばを過ぎ、お互いに結婚をして何年かご無沙汰が続いたある時、NHKの画面に、三宅さんが話をしている姿が映っているのを見て、びっくりしました。当時NHKで土曜日の午前中に 暮らしの経済セミナー″という番組をやっていましたが、その番組に消費者の代表として出ていたのです。私たち消費者の周りには、食品添加物をはじめとして、残留農薬、有害な食薯やおもちゃ等々、たくさんの環境同塵が渦巻いています。高校卒業後四十年、種々の消費者活動に関わりながら、これらの問痛点を研究し、各地で講演活動もしてきた三宅さんが、これまでの集大成として、近年、若い人達それも、これから育ちゆく小さな子ども達とその親達に接する保育士志望の学生さん達の前で話をする機会を得たことは、すばらしいことだと思い、原稿を書いていただくことを提案しました。還暦を迎えるこの年になったからこそ、主婦として、母として、働く女性として、四十年間、消費者活動に携わってきた三宅さんだからこそ、これから育ちゆく子ども達のために若い世代に 伝えたい(……)″伝えられる(……)″たくさんのものがある……。
 お願いした原稿を読ませていただきながら、長年の夢だったという教育の現場に立った三宅さんの益々の活躍を確信しました。
◎根岸さん
 すっきりしたデザインで外観の美しい根岸さんのアトリエは、武蔵小金井駅南口から徒歩四、五分の静かな住宅街の一角にありました。当日は、根岸さんが今の仕事に携わるまでの話のほかに、本文に掲載されている写真にもあるように、泰山木の花のブローチの制件行程の説明もありました。
 2003年の同期会を開催するにあたって、幹事の中の男性軍から出された希望によって、同期会のシンボルとして制作された泰山木の花のレリーフが、その後、女性軍から出された希望によって、ブローチにもペンダントにも使えるアクセサリーという形になって産声をあげたのです。さすが、根岸さんの作品、薄手のワンピースにつけても、厚手のセーターにつけても、スカーフ止めに使っても、とても素敵で、好評です。表から見たデザインが素敵なだけでなく、私たち同期生にとってうれしいのは、裏側に、根岸さんが透かしで入れて下さった 「たちこう16」 の文字です。ひそやかに刻まれたその文字が、その素敵さを倍増してくれました。このブローチをつけた日は、立高生だったあの時に戻って、晴れ晴れと……。
 一人でも多くの方々とお揃いでこのブローチをつけられたらいいなと思っています。
(野崎晴美)