寄稿1

日本1過酷なレース
「富士登山競走」に
参加した!

「富士登山競争」公式パンフレット
清水 勝

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 日本一過酷なレース、それは毎年7月の第4金曜日に開催される「富士登山競走大会」である。半世紀以上の歴史があり、毎年全国から3000名近い参加者がある、ランナーには有名な大会である。(熟練ランナーのみ参加可能な山頂コースと一般向けの5合目コースがある)
 メインの山頂コースは富士吉田市役所前をスタートし、山頂まで駆け上がるもので、距離こそ21キロとハーフマラソン程度だが1標高差3000m、スタート地点と山項は20℃近い温度差、さらに上に行くほど酸素が希薄になる。
 このコースを制限時間4時間30分以内に山項に到達しないと完走とはならない。完走率は毎年50%以下である。
 当然ながら山項コースには年齢制限がある。以前は50歳未満であった。それが近頃の中高年の元気さに押されて?徐々に引き上げられ、2年前に60歳未満になった。

 その「富士登山競走」に一昨年(平成15年)初めて参加し、完走することができた。
 30歳の後半からランニングを始め、これまで市民マラソンには数多く参加してきた。この大会も一度は走ってみたいと思いながら、ロードレースの経験だけでは不安があり、参加をためらっているうちに年齢制限を超えてしまっていた。
 その年齢制限の上限が引き上げられ、再び参加する資格が与えられたのである。一度はあきらめた「富士山」に挑戦できる、このチャンスを逃したら「長いランニング人生」に悔いを残す、そんな思いで参加を決意した。
 ところが、7月末の大会に向け、5月の半ばから準備の「走り込み」を始めようと思った矢先、ぎっくり腰をやってしまい、3週間全くトレーニング出来ない状況になってしまった。
 通常、フルマラソンを走る場会には、3カ月ほど前から準備を始めるが、その半分の準備期間しか取れず、3週間も走っていない体は5キロ走っても筋肉痛を起こすありさまで、無理かなと思いながらトレーニングを再開した。
 私の所属する「八王子走ろう会」では、毎年10人程度がこの大会に参加し、そのほとんどが完走している実績がある。また、そのための練習会も行っている。そんなことも挑戦を決断する根拠になっていたのだが、結局1回目の試走(富士吉田市役所〜5合目) には参加できず、その後、2回目の試走(馬返し〜山頂) には「これがダメなら今回は棄権しよう」と必死の思いで参加した。7月に入ってから自宅〜景信山の往復走、富士吉田市役所〜7合目の試走をし、なんとかギリギリのところで出走にこぎ着けることができた。
 7月25日の大会当日、午前7時30分のスタートに合わせ、仲間と八王子を4時に出発、途中サービスエリアで朝食を摂り、6時前に会場に到着した。受付でナンバーカードを受け取り、着替えをし、ウエストポーチに軍手、防寒用の大きいビニール袋、お金を入れ、準備完了である。水や食べ物を持って走る人もいるが、荷物は軽いほうが良い、金さえあれば山小屋で何でも買えるのだ。
 開会式に出た後スタート地点に行くと、道路はいっぱいの選手で埋まり、入り込む余地がない。あまり後ろだとスタートロスが大きいので強引に中ほどに割り込みスタートを待った。

★富士吉田市役所(標高770m)〜中の茶屋(標高1110m) 8キロ地点 38分
 2325名が一斉にスタート、大鳥居のある本町通りを浅間神社へ。ここからすでにかなりの登りで、心拍数が一気に上がる。中の茶屋までは広い舗装道路で走りやすいが、ずっと登りである。登山道に入ると先行者を抜くのが難しくなるので、それまでに良い位置をキープしなければならない。かといって、あまり飛ばしすぎても後半パテてしまう。ペース配分の難しいところだ。ほぼ予定通り通過、給水を取って先へ進む。

★中の茶屋〜馬返し(標高1450m) 11キロ地点 1時間03分
 この間も道路は舗装されているが、路面が荒れており、勾配が一段と急になる。呼吸も苦しく、足も重くなってくるが、ここで歩くようでは完走はおぼつかない。試走でコースの状況が分かっていたので、舗装道路の間は走ることに決めていた。ここでも給水をしっかり取る。

★馬返し〜5合目(棟高2250m) 15キロ地点 2疇闘00分05秒
 「馬返し」ここが本来の登山口だ、本格的な山道になる。トップグループは走って登るが、平均的な市民ランナーの我々はそんなことをしたら5合目でつぶれてしまう。無理をすれば走れないこともないが、迷わず歩く。5合目まではとにかく余裕をもって登らないと完走が難しくなる。登山者の倍ぐらいのスピードでただひたすら歩く
 5合目の佐藤小屋が第一関門、2時間30分以内に通過しないと失格となる。実際には2時間10分くらいで通過しないと完走は出来ない。エイドステーションで水、梅干し、バナナを口に放り込み、次の関門8会目に向かう。

★5合目〜6合目(標高3360m) 19キロ地点 3時間35分52秒
 6合目までは比較的足場が良い。木々が低くなり、視界が開けてくる。そこから8合目までが最も走り?難いところである。ザクザクとした深い火山性の砂に足を取られる。壁際の少しでも堅いところを選んで足を運ぶ。
 8合目が近づくと岩場だ。用意した軍手をし、文字通り這って登る。四つんばいになると、太股の負担が少し軽くなった。第二関門は8合目である。このあたりには山小屋がいくつもあり、どこが第二開門だか分からないうちに通過してしまっていた。ゴール後「第二開門が分からなかった」と仲間に言ったら、呆れられてしまった。意識が朦朧としていたのかもレれない。

★8合目〜山頂へ(標高3776m) 21キロ(ゴール) 4時間9分49秒
 第二開門は、まだか、まだかと夢遊病者のようにプラブラと歩いた。もうスピードは登山者と変わらない。違うのは、休みなく歩くということだけだ。
 第二開門は、通過していなければならない時間だ、完走できないのかと一瞬不安になった。そのとき、白い鳥居が目に入った、確か9合目のはずだ。上を見上げると岩場にゴールの垂れ幕が見えた。あと少しだ、そう思うと少し元気が出た。
 ゴール前の階段を上るとき、上から「最後ぐらい走れ」と怒鳴る応援者がいたが、そんな体力は残っていなかった。膝に手を当て最後の階段を登った。
完走者1103名、トップの選手は2時間47分57秒であった。
 マラソンの魅力は全力でひとつのことをやり遂げる、その達成感、満足感である。それゆえ、より困難なものへ挑戦することになる。

 このレースに昨年も参加し、一昨年と同じようなタイムで完走できた。昨年から年齢制限が撤廃された。いつまで完走できるか、体力と気力の続く限り挑戦しようと思っている。
 「あなたは最近何かに挑戦していますか?」