僕のオリジナルは
四角い指輪です
ジュエリー作家

根岸佑治さんに聞く

工房「らぴで−る」主宰
●インタピュア/尾崎虞孝
●テキスト構成/岸本都江
●撮影/野崎疇美・岩野浩二郎
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演コンの「三年寝太郎」が
原点です


●こんにちは。今日は大勢でお邪魔しました。あなたのお仕事が女性の関心を相当刺戟するようで、「泰山木」編集部の女性の大半が、私も行くーつと殺到してきました。そのお仕事、「ジュエリー」についていろいろお伺いしますので、よろしく。
根岸 いえ、こちらこそ、どうぞよろしく。
●根岸さんっていうと、立高時代には知らぬ人はないほど個性的でユニークで、失礼ながら、その…キザっていうか、目立ちたがり家という印象が強かったと思うけど。
根岸 そうですかねえ……。
●でも、確かバスケット部のエースだったり足も速かったり、かなりスポーツマンでもあったですよね。とくにバスケは、相当シャープだったのを覚えています。
根岸 そう、入試の発表のときに どんな体育館かなと見に行ったら、バスケの部貝が練習をしていたんで す。それですぐ春休みの練習から参加させてもらった。だから、入学の前からバスケット部だったってわけです。
●入学して、クラスは何組だったん ですか。
根岸 一年のときは男女クラスで B組、後は男子クラスで二年はG組、三年はE組でした。
●バスケ以外にクラブは
根岸 一年のとき、演劇コンクー ルでBG組がやった「三年寝太郎」 の装置、照明なんかの美術関係を担 当してね、装置賞をもらったんです。 そしたら演劇部に引っ張りこまれち ゃって。
●よく覚えてますよ、私は演劇部だ ったから。
根岸 そしてすぐに、都の演劇コ ンクールのための装置を作りまし た。バスケの練習が終わってから演劇部で装置を作っていたんで、夜なぺ仕事でしたね。演劇部は定時制の人とも一緒だったし。






●演劇については、役者とか演出と かいわゆる表方への関心はあったん ですか。
根岸 なかったですね。もともと、手仕事、大工仕事が好きだったので 裏方を引き受けたんです。
●やはり美術関係の志向というのは、昔からあったんだ。
根岸 うーん、美術部に入ろうと は思わなかったし、美術を意識してやってきたつもりはないんですがね。ただ、オブジェを作ったり、書道をやったり花を生けたり……。
●書や花ですか。
根岸 中学から草月流のいけばなを習い始めて、高校時代に師範も取 ったんです。勉強が嫌いで、小学校 のときから盆栽に興味を持ったり、 書道家だった担任の先生から書道を 習ったりしました。これが後で大いに役に立ったと思っています。
●なるほど。ちょっと変わった、”ませガキ”だったんですね。
根岸 興味をもつ方向が、少し違 ってたんでしょうね。立高時代に作 ったオブジェといえば、軽音楽部の演奏の舞台装置だったかな。桐とか 梅の倒木とか、立高周辺にあったいろんな花材を集めて、大小の丸太でウェスタンの舞台と可動式の舞台を二つ作ったんです。上から吊った作品もありました。それを動かして、大野春樹くんのラテンと松田隆夫くんがやっていたジャズバンド、藤沢 くんたちのフォークグループなど、それぞれ違う雰囲気の4種類の舞台で歌えるようにした。菊やススキだの、とにかく安い花を使ってね。
●あの当時にはオブジェの華道なんてなかったから、時代を先取りしていましたね。
根岸 でも、今思えば演コンから軌道が狂ったかも。バスケだけやって高校生活を過ごしていたら、もっ とまともな人生が送れたんじゃない かと (笑)。


空間養術をやりたくて
建築科へ


●それで、立高卒業後の進路は?
根岸 武蔵野美術大学の建築科に行きました。
●ほう、美大の建築科ですか?
根岸 やはり立高に遭っていた兄が、芸大で工芸を専攻したんです。ウチの親は錺(かざり)職人だったから、親のあとを継ぐのかなと思った。僕も机に向かった勉学が嫌いだしモノづくりがしたかった。だったら、兄より大きいもの、建築にしようということでね。武蔵野美術大学の建築科というのは新しい学科で、この年が第一回の入試だったんです。そういえば、面接のときに思い出があります。身上書の趣味の欄に生け花と書いたのを面接官が見て、えー、生け花?という感じでせせら笑ったんですね。僕は、カチンときました。それで言ったんです。「いまお笑いになった先生方にお聞きしますが、生け花も空間芸術、建築も空間芸術だと思います。素材こそ違え、同じ空間芸術を笑うのはおかしいんじゃないですか?」 って。
●おっ、正論ですねえ。で、卒業後はやはり建築関係へ?
根岸 いや、いきなりジュエリーです。
●え、それはまたどうして?
根岸 まず、サラリーマンにはなりたくなかった。ゼネコンには就職口はあったけれど、歯車のひとつとしての設計、というのに抵抗があったんです。だから、そのころ、芦原義信先生を筆頭に、磯崎新先生、保坂陽一郎先生、竹山実先生とかの指導を受けていたので、オリジナルで面白い建物を作っている建築家の事務所にでも入りたいと思ったんですが、ムサビの建築ではまだ就職実績がないから、誰も採ってくれない。
●しかし、建築からいきなりジュエリーというのはなんだろう?
根岸 さっき言いましたが、父が錺職人で、御木本の金具とかメンズアクセサリーの下請けをやっていました。家の工房で、中学のころから部品の蝋付けなんかを手伝って、1個1円から5円で1日50個とか100個とかの小遣い稼ぎをしてたんです。立高時代は、バスケットシューズを買いたくて、一生懸命やったなあ。オリジナルジュエリーのきっかけは、大学生のとき、平塚らいてふさんの縁筋という方が父を訪ねてきて、らいてふさんのご主人の奥村博史さんの遺品だとかいう手作りの銀の指輪を見せて、これと同じようなものを作ってほしいと。部品の組み立てのほうが得意だった父が、お前やってみるか?というので、始めたんです。
●奥村さんという人は?
根岸 この奥村博史さんという方はもともと画家だったんですが、銀の指輪を主に富本意吉さんの磁器を使ったブローチなどを作って、周囲の人に譲って生計を立てていたと聞いてるんだけど、蝋付けはないし削りだしたのかな、うまいことやってるなとか、俄然面白くなってきた。このときはずいぶん研究して作ったので、大学で学ぶような技術はかなりできていたと思いますよ。






●建築への未練は全然なかったんですか?
根岸 建築にまったく未練がなかったというとウソになるけれど……。ただ、大学で建築を学んでよかったことは、モノを作る前に理論が必要であるということ。ジュエリーの造形においても理論的、哲学的なものが成立しますからね。それから、建築はグループ制作ですよね。設計といっても意匠構造、設備とかに分かれているでしょ。それぞれの設計の代表者として意匠を担当した設計者が建築家と呼ばれているわけだし、施工も鳶や大工や表具師の手を経て完成するわけで、自分の手で最後まで作るものではない。それに対してジュエリーは最初から最後まで、全部自分で完結できる。これがジュエリーの魅力です。
●それで、ジュエリー作家として自立したんですね。
根岸 いや、作家ではとても食えないので、教室を始めたんです。ちょうどそのころ、ムサビの金工専攻で創作ジュエリーの課題があって、学校には道具が揃ってないからと、在学中から学生たちが課題を作りにうちの工房に通ってたんですね。それならということで、月謝をいただいて始めたのが、教室です。親父は、「オレの時代は徒弟制度だったからお金を払って教えたものだが、今はお金を取るのか!」って驚いてましたね (笑)。その教室が、今でも続いている僕の収入源です。






「泰山木の花」をデザインしたブローチを加工する

作家活動とミルク代稼ぎ

●作家であると同時に、教えながら生計を立てていたと。
根岸 生計は立ってなかったんじゃないかな。ぎりぎりの生活だった。でも、何とかなるさと、独立して2年後くらいから教室展を開いたり、本なんかも出版しました。若いころはよく公募展に件品を出していたけれど、そういうところへ出すのは、新しいもの、誰もやっていないようなものでなければだめなんです。でも、それはミルク代にならない。結婚してすぐに子供ができたんで、ミルク代を稼がなきゃ。たとえば、僕は大きい指輪を作りたいと思っても、お客さんが大きいものは嫌いといえばそれまでです。そういう時は、小さいところにいかに自分の思想を盛り込むかですね。まず生活ありきで、おまけに宣伝費ゼロですから、教室展などで作ったものを発表して知名度を上げ、生徒さんを増やさなければならなかったんですよ。
●あなたの本のことは、僕も覚えてますよ。書評があちこちに出て、かなりの話題になったんじゃなかったですかね。
根岸 本は rジュエリー美学」(東京書房杜) というタイトルで、20代の初めから「月刊ジュエリー」という専門誌に連載していたものが出版社の人の日に止まって、本にまとめようと。でも、いざ本にしようとすると大変でした。ジュエリーの造形について、形体的文様的な要素の分析や統合、歴史的な役割とか、ジュエリーデザインの際にデザインを導き出す考え方や作業、それから作品としての価値や社会的な評価など、ひと口で言ったら"ジュエリー概論″のような内容です。
●ところで、なんとなく分かっているようではあるけれど、本当は、「ジュエリー」ってどういう世界なんですか?




根岸 簡単に言っちゃうと装身そのもの、装身具のことです。つくる側から言えば「ヒューマンスケールの立体造形」ということかな(笑)。造形する場合は、不変性とか使い勝手とか、作家として主斐するエレメントが強くなりますね。でも、一般的な印象だけれど、ジュエリー作家の作品にはエンドユーザーにやさしくない作品が多いように思えるかなあ。
●素材は、やはり宝石が中心になりますか?
根岸 まあ宝石というより、宝石を含む石、紙、木、布、金属など、地球上にある、または宇宙から飛来したものすべて、ということになるかな。宝石に関しては何から何までぜんぶ独学です。僕の場合、ジュエリーだけでなく、モノをつくるのはなんでも好きだから、自分で工夫したり研究するのが性に会ってます。
●なんでもやっ.ていて楽しい?
根岸 無理そうだと思われていたことを、ひとつひとつクリアしながら完成させるときの達成感は、何ものにも代えがたいって感じですよね。逆に、それが宝石だろうとプラスチック、川原の石であろうと、預けてくれた人の思い入れの強いものを無事に納品するまでの心配は、結構たいへんですけど。
●ジュエリーの価値はその人によって遠いますもんね。
根岸 まったくそのとおり。価値はその人の心のなかにあるので、たとえば宝石なんかでも、市場価格が1億円でも、その人に関心がなければゼロ円ですからね。逆に、昔亡くなったおばあちゃんのお骨をずっともっていた人が、ロザリオペンダントにそれを埋め込んでほしいとか、お子さんが遺した乳歯をペンダントにしたいと言ってくることがあるんだけれど、そういう人にとってそれは、1億円の宝石以上のものかもしれないですよね。


立高16期の同期会向けに製作した「泰山木の花」。左上が原型。下段の左から、@原型の複製。A複製の周囲を成形し、鏨(タガネ)で表情をつけたもの。Gその途中のもの。E花弁の表面すべてに鑑が入ったもの。裏に「たちこう16」のプレートや、ブローチ鎖などを蝋付けする。D金とロジウムでコーティングしチョーカーに下げた完成品

工房「らぴで−る」のジュエリー作品

人間の関節から
「四角い指輪」を発想した

●ところで、あなたの作品に、これだ!という特徴をあげるとなんでしょうか?
根岸 四角い指輪、です。
●ほう、四角いんですか!
根岸 大学の建築でね、モノが作り出される理論や哲学を基に造形するってことを学んだから、指輪に関しては人間の関節の骨のかたちから、四角い指輪を思いついたんです。学生時代からそれを考えて、僕はもう30年以上もやってきました。市販されている指輪ってどれも円形でしょ? 丸いほうが簡単にサイズ直しできるわけ。そういう売り手の立場に立ったデザインなんです。四角い指輪って、サイズ直しができないのでほとんど不良在庫になってしまいます。イタリアを代表するデザイナーのピーノピーニやイギリスのジェフリー・タークという高名なジュエリー作家も、四角い指輪を発表してますが、ジュエリー先進国ヨーロッパの作家も同じように考えているのかわかりませんが、僕のほうが早い時期に発表していましたよ。向こうでは、日本人がまた真似をしたというくらいの認識でしょうが……。
●そういう指輪なんかを、大手と組んでビジネスをしようと思ったことはない?
根岸 昔、そんな話はありましたよ。大量に作らなければならないので、工場をつくるための資金を出すからといわれたんだけど、それじゃ下請けになってしまう。親が下請けで苦労していたのを見ているので、それは絶対いやだと思って断った。基本的には、自分はカルティエ、シャネル、ティファニーなんかのブランド品のようにマスを相手にしていません。量産できないので、あくまでも個人が対象です。
●奥さんも同じ仕事をされているんですか。
根岸 そう、教えて、自分でも作る。基本的に僕と同じです。それと、僕は自分で作った指輪やブローチを身につけることはないけれども、彼女は身につける側に立って意見が言えるし、お客さんの好みを的確にキャッチできる。とてもありがたい存在です。
●なるほど、同志であり、共同経営者というわけですね。さて最後に聞きたいのですが、これから作ってみたいというものはありますか?
根岸 デザインに関しては、組み合わせで多機能に活用できるものっていいですね。例えば、御木本がパリ万博に出品した通称「矢車」というブローチと帯止め、かんぎし、リングなどを兼ねた多機能ジュエリーのように、パーツの組み換えでいろいろ変化する、そんな感じのもの。それと、生け花や金属造形を生かした少しスケールの大きな空間造形ですか。






●そうそう、前回(2003年)の16期の同期会で、泰山木の花をモチーフにしたペンダントを作ってくれましたよね。
根岸 それは、あなたから同期会のシンボルとして作ってみないかと提案してもらったかちですね。あまり制作日数がなかったので、厚めの銀地金を糸ノコで切って、ヤスリで削って、泰山木の花のレリーフを作ったんです。その後、数人の人からブローチにならないかと言われたので、改めて大きさとか花弁の形や動きをデザインし直して制作してブローチ兼ペンダントとなった。これが、お陰様で同期の女性たちにとても好評をいただいています。ともあれ、そういう提案に刺激されて、皆に喜ばれるものを作れるというのは、とても嬉しいことですよね。僕はさ、"時々作家かもしれないと錯覚している職人≠チて自分を思っているからね、基本的に (笑)。
●あれっ、ずいぶん謙虚ですねえ(笑)。いや、どうもありがとうございました。これからもよい作品をみんなに作ってください。
(2004年10月31日取材)




瀟洒な「工房らぴでーる」のアトリエ工房兼自宅



工房内で根岸夫妻(前列中央)を囲んで。女性がたくさん集まった編集部取材