還暦つれづれ
  
一巡りして 396とおりの新たな出立
夢があり希望があり 次世代への思いがある
新しい泰山木の生長とともに始まる
私たちの旅路
 
to index
 
還り巡ることについて
04 下川正和 
 改めて還暦とつぶやいてみて、なんとうまい区切りであり、言い回しであるのだろうかと、改めて感じ入りました。
 もうご存知の方もおられると思いますが、私は長男の交通事故の件で熊本県(知事)を相手に損害賠償を請求し、警察官を偽造公文書作成で告発しています。相手が地元名士の娘で、その彼女が警察官と男女関係にあったことなどが原因で、捜査が捻じ曲げられ、虚偽の実況見分調書が作成されました。拙い私の知見では、因果関係は逆で、態様が全く異なります。著名な大学の先生から、「鑑定ではお前の書類は参考にしない。警察の書類しか見ない」と言われてはいたのですが、「まさか大学教官や裁判官は、真実は無視しないだろう」と思いました。高裁で採用した鑑定も私とほぼ同意見でしたし。ところが、地裁で大学教官が明らかな虚偽鑑定を行い、判決も、地裁から最高裁に至るまで逆でした。私は一度、相手に、損害賠償金を払わせられています。
 納得できない。親よりも技術者として、また一社会人として許せない。これを人は執念というようです。明らかに捏造であることが、実況見分調書添付の写真の影の向きで確定できました。再度告発しました。七年目です。先日の同期会の前日に写真週刊誌「FRIDAY」に掲載されたので、お気づきの方もおられたようです。改めて最初から裁判のやり直しをする。六十歳はそんな年になります。また七年掛かるのでしょうか。
 私は建築設備工事会社に勤めております。熊本県からも受注しておりますし、警視庁などの警察関係施設の工事も行っております。この土建業の旧い体質は良く存じております。定年と同時に退社(業界から姿を消す)する旨、社長に申し出、降格も申し出ました。今のままでは具合が悪い。勿論関連会社等への関係も全て断りました。百姓になるために就農準備校に通い、認定農家にもなっていたので、いい潮時と思っています。会社人間として人生を送ってきましたが、改めまして、土と水と太陽と生き物を相手に、循環型の小社会を、自分自身の身の回りにも実現してみたい。実際には打ち捨てられ、荒れた土地ですので、土作りで二〜三年は掛かるでしょうし、当面食えないので、そこだけが少し心配の種が残っています。これも還暦の出来事です。
 荒れた山にある家に荷物を運んでいたら、通信簿が出てきました。小学校一年の時の通信簿に「正義感が強く」、(弱くてすぐに泣かされるのに)訴えようとする」旨書いてありました。付き合いや世渡りが下手で、泣きじゃくりながら、訴えたのでしょう。さして変わっていない。「弱者への味方」に思いを馳せながら、実は自分が最も弱者であったのかもしれない。損をしてばかりで、家族など近親者に迷惑ばかりかけている。楽しい思いなど全然させていない。
 この八月に次男が結婚します。二年前でしたでしょうか。生田和尚の寺で座禅を組み、黒茶屋で語ったあと、皆さんが拙宅にお出でになったことがありました。そこに教師志望の次男(立高の後輩でもある)が帰って来て、就職先についてご心配をいただき、小林和子さん(府中の小学校の校長先生)に連絡していただき、彼はやっと小学校の先生になれました。その次男坊です。尾崎さん、岩野さん、同期の小林さん、そして声を挙げて下さった皆さん、その節は大変にありがとうございました。同期の力ってすごいですよね。さて、この結婚で世代が交代します。今度は三代目の立高生が生まれてくるかもしれません。これも還暦の年の出来事です。
 
 還暦とは何でしょうか。三つ子の魂百まで、といいますが、めぐり巡って、しかし、またスタンスを変え、意味合いを変えて、また始まるように思います。螺旋的な発展、とでも言うのでしょうか。今の齢六十歳は、まだ若い。花を咲かせ、実らせることもできる肉体ではないでしょうか。しがらみを捨て、もっと大きな課題に向かって行ける歳であると、私は思います。そのための経験を積み、知見を育んできたのです。無理をせず、しかし大胆に。思いが籠もってかけがえの無い、則に還って、新しい人生をはじめてみるのも、一つの方法かも。