還暦つれづれ
  
一巡りして 396とおりの新たな出立
夢があり希望があり 次世代への思いがある
新しい泰山木の生長とともに始まる
私たちの旅路
 
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還暦の今、
「十六期の友の輪」の中にいる私
06 野崎晴美 (旧姓・武藤)
 毎年夏の暑さに閉口しはじめた頃、終戦記念日の8月15日がやってくる。私はあの終戦の日の一か月後の9月16日に生まれた。兵隊として広島に行っていた父はまだ戻ってきていなかったという。
 「広島から帰ってきたら、晴美が生まれていてね。母乳が少なかったので近くの農家に行っては、山羊のお乳を分けてもらったり、人参をすった汁を飲ませたりして育てたんだよ。晴美は歩けるようになると、お父さんが自転車で仕事に出かけようとすると、毎朝、『行くのー』『行くのー』と言って追いかけてきてねぇー」 53歳の若さで亡くなった父は、生前、毎年8月のこの頃になると晩酌をしながら四人の子どもたちの前でよくこんな話をした。下の三人の男の子たちが生まれたときには、もう牛乳が配達されるようになっていたということで、私が生まれたときのことは、時が時だっただけに父にとっては特別な感慨を含んだ、鮮明な映像として思い出されてくるようだった。
 
 あれから60年、三人の弟たちに比べると小さい赤ん坊だった私も、なんとか元気で還暦を迎えることができる。
 子どもの頃は60歳の人というとずいぶんお年寄りというイメージをもっていたが、いざ自分がその年になると、まだまだそんな年になったような気がしない。私がこんなに気が若くいられるのは、立高十六期の友人たちのお陰だと最近つくづく思う。
 十六期の友人たちに会っていると、今の自分の立場も年も忘れ、若かったあの時の少し延長上にいるだけのような気持ちになって時を過ごすことができる。誰もが純粋で多感だったあの三年間、一日一日が新鮮で心ときめく日々だった、青春まっただ中のあの三年間を、立高という共通の学び舎で過ごしたという、そのことだけで、もう何も説明しなくても心つながるものがある。
 十数年前から活発になってきた、「同期会活動」や情報誌「泰山木」の編集活動、そして、その他講演会や、コンサート、ハイキング、旅行などの、イベント、に参加していくうちに、高校時代には一言も話をしたことがなかった方々とも話をするようになり、年を重ねるごとに十六期の友人が増えてきている。それぞれ皆、個性豊かで懐広く、すばらしい方たちばかりなので、私などは会って少し話をしただけで刺激を受け、次の日からの元気≠もらって帰ってくる。還暦を迎える今、こういう友人がたくさんいるということ、そして、これからも増えそうだということは、ほんとうにありがたく=A感謝≠フ気持ちでいっぱいだ。
 6月4日の華甲同期会は、私にとって、ほんとうにしみじみと心に残る会となった。
 午前中は、母校で泰山木の記念植樹、現職の校長先生を囲んで皆で立高時代に戻った気分で記念撮影!! 午後からの新宿のラプソディーでの会では、大野春樹さんのパライソの演奏で秋山恵美子さんの歌を聞き、感激!! 二次会のカラオケでは、皆で合唱祭の課題曲を合唱!!
 18歳の時の3月、あの立高の卒業式の日に、41年後、こんな日がくるとは夢にも思っていなかった。そう思うとなおさら胸打たれるものがあった。卒業して大学に行ってからも、「立高は、よかった」、「立高は、よかった」、と振り返ってばかりいた私にとって、今、この歳で立高時代の友と、いえ、その時よりずっと多くの友と交流できているこの現実は夢のように思える。
 思い起こせば、卒業後、十六期の交流の輪が広がる≠ォっかけになったのは、立川の「銀座アスター」で開催された卒業20周年の「同期会」だったのではないかと思う。「同期会」は尾崎成孝さんが幹事の中心になってやって下さっているが、あの時は、今は亡き、斎藤(旧姓・浅見)勝子さんが事務局を引き受けて下さって、たいへんな熱意をもってあちこちに電話をかけながら住所調べをして下さった。集まった近況録も全部達筆な手書きで作成し、コピーして皆に配って下さった。また、あの時出席して下さった先生方の胸を飾ったコサージは当時フラワーデザイナーの先駆けとして活躍していた、やはり、今は亡き、浜村道子さんの手作りだった。
 そして、十六期の交流の輪の深まり≠フ元となったのは、内田泰明さんが提案し、岩野浩二郎さんが編集長、松本節子さんが事務局(途中一回、堀池美智子さん)、山岸勝子さんがDTPデザインをと、それぞれが専門的な力を注いでがんばって、皆を引っぱってやってきて下さったお陰で、7号まで続いた、十六期情報誌『泰山木』だったのではないかと思う。
 ここで、『泰山木』還暦記念号の発行にあたり、私は「同期会」開催や、『泰山木』発行のために、持てる力と時間を尽してがんばって下さった多くの方々に心からお礼を述べたいと思う(私はたいした仕事もしないで顔だけ出していた方でしたので)。
 
 終戦記念日を前にして、テレビは連日あの時の関連番組を放映している。事務の仕事に疲れた頭を休めるためにスクーターで外に出た。真夏の太陽の下、家々の庭や公園に咲く、百日紅の紅い花が風を切って走る私の目に明るく飛び込んできた。
「同期会」で、『泰山木』で、「メールサークル」で、「イベント」で、私には参加すれば楽しく話せる友がいる。
 入学したあの時から、私の人生の中で素敵な感動を与え続けてくれている立高の友がいる。
 
  平成十七年八月 還暦の日を前にして
(還暦を迎え、定年その他でこれから時間ができるという十六期の方々、是非、是非、顔を出して下さいね)