還暦つれづれ
  
一巡りして 396とおりの新たな出立
夢があり希望があり 次世代への思いがある
新しい泰山木の生長とともに始まる
私たちの旅路
 
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あるがままを受け入れて、
気負わずに生きていきたい!
09 田中蓉子  
 若い時は、還暦といえばもうりっぱな老人、完成された大人と思っていたが、その歳を迎えようとしている今の自分を考えると、あまりに未熟人間でとても自分がその年齢に達するとは信じられないというのが実感である。
 私の場合、6年前に既に会社を辞めているので、還暦を迎えるといっても日常生活が変わるわけでもなく、「人生の一区切り」といった感慨はほとんどない。
 確かに思い起こせば随分いろいろなことがあった人生だが、最近思い至ったことがある。それは「人間は皆平等、プラスとマイナスのバランスがうまくとれてあの世に旅立つのではないか?」ということだ。自分の一生が果たして幸せだったか不幸だったかは、死ぬ時になってみないと誰もわからないが、神様は一人一人の人生にちゃんと帳尻を合わせて下さっているのではと思うようになった。「人間万事塞翁が馬」、なるほど、なるほど。
● 27歳の時に父が55歳で亡くなった私は、街で父娘一緒の人を見かけると寂しくて思わず涙ぐんだこともたびたびあった。だから、それぞれの両親(合わせて親4人)がいるテニス仲間の夫婦のことが羨ましくて、「いいわねぇ、あなた達は……」と、よく口にしていた。ところが歳月が流れた今、その夫婦は親の介護が始まり、病院通いの付き添いをしたりする毎日で、同居ではないが遠出は全くできず、老親4人を抱えて大変な思いをしている。
● 47歳で未亡人になった母は、当時年頃の私達三人姉妹の片親として、その苦労は大変だったと思うが、今は、世話をしなくてはならない老夫がいない分、、娘の私と2人で勝手気ままに暮らしているせいか、79歳とは、見かけも行動も、思えないほど、誰もが驚くほど若く、元気溌剌として、さながら女王様のようである。
● 若い時、視力自慢であった私は、近眼の友達から「目がよく見えるうえに、メガネ代が何もかからなくていいわね」と、いつも羨ましがられてきたが、随分長いこと楽をしてきた分、老眼になった今はとても苦労している。メガネをかける煩わしさと、細かな文字が見えないという不便さを、本当にいやと言うほど味わっている。
 
 人は往々にして「ないものねだり志向」が強い。他人のことは自分と比較してなんでもよく見えがちだ。だが人それぞれ、他人にはわからない何らかの悩みを抱えて生きているのだとだんだんわかってきた。悲しみ、苦しみ、怒り、喜び、幸せ等、人は自分がその状況になってみないと、(体験しないと)本当のことはわからない。病気をしたり、怪我をしたりして初めてその苦しさ辛さがわかり、そうしてやっと他の人の痛みを量り知ることができ、労わりの気持ちを持つことができるようになるのだとようやくわかってきた。そのことにたどり着くのにひどく時間がかかってしまったのは、恥ずかしいがとても嬉しい。
 還暦を迎えようとしている今、毎日の平凡な暮らしがいかに平穏で幸せかに気がついて、感謝の気持ちをもって生きていかれることをしみじみありがたいと思っている。