還暦つれづれ
  
一巡りして 396とおりの新たな出立
夢があり希望があり 次世代への思いがある
新しい泰山木の生長とともに始まる
私たちの旅路
 
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還暦つれづれの記
15 川俣あけみ (旧姓・山下)
 人は人生を考えるとき、長い人生なのだから焦らなくてもいいのだと思ったり、人生は短いのだから今日という日を大切にしようと思ったりする。その時々の自分の置かれた状況、立っている位置、心理によって違う表現をするだけで、いずれも真実だろう。 還暦を迎えようとしている今、これまでの人生が長かったようにも短かったようにも思われる。
 物心ついたとき、私の周りには、テレビも冷蔵庫も洗濯機も電話も無かった。それどころか、母は薪で御飯を炊き、冬の暖房は炭の火鉢と炬燵だった。今の若者から見たら、明治時代と少しも違わないと思えることだろう。そういう生活様式の激変という視点から考えると、60年という歳月が非常に長く感じられる。一方、常に背中を押されるように慌しく過ぎて行く、一日一日の積み重ねとしての時の流れから考えると、まるで早送りのビデオを見ているように、30年、40年前のことも、つい昨日のことのような気がしてくる。
 今こんな思いで還暦の扉の前に立っているのだが、振り返れば、長いこと書道と木彫が私の生活の二本の柱であり、少しでもその方面で認められたいと頑張ってきた。しかし、その柱に対する意気込みがここ数年細ってゆき、その削られた部分が他のいろいろな方面に、趣味として広がった。旅行や山歩き、更に星座を眺め、草花を愛し、俳句を作るというようなことに。若い日にやり残したことを今楽しんでいる。強制も競争もレポート提出の必要も無い。ただ楽しむだけ。
 最近、俳句を始めた。動機はきわめて単純で、高浜虚子のお孫さんに当たる方に偶然出会ったことによる。それを楽しく続けていられる一番大きな理由は、私の人生観が、装飾よりもシンプルを好むようになってきていることにあると思われる。季題・リズム・詩情という約束事の中で、不要なものはいっさい捨て、説明を避け、17文字の中に選び抜いた言葉を入れる。複雑なモチーフを簡潔に表現する。この簡潔さが今の私の好みにぴったりと合っているのだ。また皆の目が同じ物を見ながら、心の目は人それぞれに違うものを見ているというのもおもしろい。同じ対象から全く別の句ができるのだ。
 ヨーロッパ旅行でお城や教会を見て廻ると、よくもまぁここまでと驚くことが多い。余白があることを許せないかのように、彫刻、絵画、ステンドグラス、タペストリーなどで埋めつくされている。その手の込みようと豪華さには圧倒されるが、建物から出た瞬間、思わずやれやれという言葉が出てしまうほどに疲れる。文化の違いであるが、俳句とは対極にある世界だろう。
 都会の華やぎよりも野山に惹かれ、有名レストランのフランス料理よりも山頂で広げるおにぎりが好きなのは、俳句に興味を持ったことと根の部分で繋がっているのかもしれない。
 木々の芽吹き、小さな木の実、可憐な草花、頬をかすめる花びら、鳥の囀り、髪をなぜる風、星の瞬き、そういうものに心を寄せながら、ゆっくりと残りの道を歩いて行きたいと思う。
 
 近作五句
 
 聞こえ来る暮らしの音や朝霞
 
 落人の里囀りの中に有り
 
 山百合や谷川にある昼の闇
 
 畦道の一日(ひとひ)の賑い地蔵盆
 
 山の水引く集落や女郎花