還暦つれづれ
  
一巡りして 396とおりの新たな出立
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私たちの旅路
 
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宇宙開発と私の60年
19 笹原眞文 
 60年で還暦ということで生まれた年の乙酉と成りました。今年はちょうど私が小学校時代から住んでいる国分寺で日本の宇宙開発の始めといわれている当時の東大の糸川先生がペンシルロケットを水平発射してから50年でありました。また世界物理年ということでアインシュタインがその後の科学に大きな影響を与えた特殊相対性理論を始めとする三つの理論を発表して100年目になります。一昨年はライト兄弟の初飛行から100年でありました。
 私が残念なことは子供の頃思っていた宇宙に一般の人がいける時代がまだ訪れていないことです。でも昨年10月「スペースシップワン」が「アンサリXプライズ」を獲得しました。この「アンサリXプライズ」は民間開発による三人乗りの宇宙船を、2週間の期限内に2回、高度100キロまで打ち上げることに成功した宇宙船に1000万ドルの賞金を与えるものでした。将来の宇宙開発への希望の種です。
 酉年ごとの12年で振り返ってみました。
 1945年〜1956年−− 最初の12年、生まれてから小学校時代。生まれた年は終戦の年。小学校の時近所のお兄さんに影響されラジオを作りました。そのころの真空管4本、12F、6ZP1、6C6、6D6、を使った高1ラジオと呼ばれていたと思います。1946年真空管式の電子計算機ENIACが完成した。1948年にはこの後の電子機器の飛躍的発展の基となったトランジスタが誕生しました。
 1957年〜1968年−− 私の学生時代、国分寺一中、立高時代は天文気象部、早稲田大学理工学部土木工学科(現在は都市環境工学科)。立高時代糸川先生の講演会へ行ったり、田代先生と一緒にTBSでガガーリンさんにお会いしました。1957年(酉年)世界初の人工衛星[スプートニク]を旧ソ連が打ち上げました。1961年には[ボストーク]で旧ソ連のガガーリン宇宙飛行士が初めて地球一周をしました。1962年アメリカは[フレンドシップ7」でグレン宇宙飛行士が地球三周。
 1969年〜1980年−− 1969年(酉年)私が科学技術庁宇宙開発推進本部に入り、この年宇宙開発事業団(NASDA)ができました。推本時代はロケットの打ち上げ隊で企画担当、NASDAでは施設部でロケットの発射場、衛星追跡所の施設担当をしていました。1969年(酉年)「アポロ11号」が打ち上げられ、人類が初めて月面に立ちました。日本では1970年東大宇宙航空研究所が日本初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げました。宇宙開発事業団では1975年初めてNロケットにより「きく1号」を打ち上げました。1069年(酉年)は核戦争にも耐えられる通信システムの研究から4台の計算機によりインターネットの始まりと言われるARPANETが
誕生した年でもあります。
 1981年〜1992年−− 私がNASDAでいろいろ経験した時期です。地上の施設設備とりまとめ、土木工事、ロケットの打ち上げ企画、人工衛星の試験等担当しました。1981年(酉年)アメリカのスペースシャトル「コロンビア」が初飛行に成功、パソコンではこの年NECのPC8801が発売されました。
  1993年〜2004年−− 私は筑波宇宙センターで人工衛星の試験、種子島で次長と広報担当、筑波宇宙センターで次長、施設設備室長、2003年に文科省宇宙科学研究所(ISAS)、独法航空宇宙技術研究所(NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)の三機関が統合し宇宙航空研究開発機構(JAXA)が発足し施設設備部長、現在は退職し、主に筑波で衛星試験備の運用をしているAESという会社に入りました。2005年(酉年)土星探査機カッシーニの子機「ホイヘンス」土星の衛星タイタンに着陸。日本ではHUAAロケット2号機で「ひまわり6号」が打ち上げられ、6月から天気予報に活躍中です。