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 この本を手に取って、表紙の花の写真が何の花か分からなかった。最初のページにローズマリーとあり、初めてあのローズマリーの花だと気づいた。匍匐性のローズマリーが石垣にもたれかかって秋の陽を浴びて咲いているのが私も好きだ。独特の香りと葉の形、質感に何とも言えぬやすらぎを感じる。その花が、「ロス・マリン」(海のしずく)という学名を持ち、聖母マリアがヘロデ王の追手を避けてエジプトへ逃げる途中、草原に外套を広げて休まれた。それから、そこに咲く白い花がみんな青い花になった。この言い伝えから、ロス・マリア転じてローズマリーになったという。木村富美子さんは、ローズマリーと共に自身の教名であるヴェロニカにもふれている。共通するのは、清楚な青い小さな花のかたまり。よく見ると独特な花の形を持ち心に沁みる花である。
 「母と父」、本の半分ほどを占めるこの項は、終戦を疎開先で迎えた幼児期から10歳くらいまでの少女期の話をまとめている。この頃の話を『巣立ちの季節』として以前に出版されたということだが、それから十数年たち思いを新たにして書かれたようだ。昨夏、私たちも、あの終戦の前後私たちの生まれた頃の話をそれぞれ書いた。父や母に幾度となく聞かされていた話だったり、記憶の底から引っ張り出した話を、還暦を越えた今だからこそ残しておきたいという思いで書き綴ったのだった。 
 木村さんは、人は何歳頃から記憶があるのだろうか、と疑問を投げかける。昭和20年、まだ3歳にもならない時、空襲の中を母に負ぶわれ火の粉を避けるために頭からすっぽり布団を掛けられ、防火用水の水を浴びながら火の海の中を逃げた、その記憶はないとしながら、「ふみが息をしていないようなの! 早く布団を取って確かめて!」と叫んだ母の声を覚えているという。そして、戦後、時を知らせるサイレンに震えおののいたという。まだ幼少で周りのこともよく分からない時であったにしても、空襲の夜の切迫した状況は意識の奥底に押し込まれていたに違いない。
 出征した兄が無事に帰宅し、お土産にチョコレートを持ち帰ったという。初めて食べたチョコレートに兄の無事の帰還を喜び、戦争が終わったと実感したであろうであろう妹の心が重なってくる。
 小学校の入学式の日に、なぜか元気のない母が実は、食料と換えるために手放した着物を着た人に出会ったためだったというくだりは、自分自身が、着るものに執着し、ひとつひとつに思い出と愛おしさを持っているので、本当に切なさを強く感じ、木村さんのお母様を身近に感じた。
 嫁ぐ日の近くに、病床にある父の髭を剃る。父は長くない自分を知っていて娘に髭を剃ってくれと頼む。母親もその気持ちを知っているので、馴れないことで傷つけるのではないかと渋る娘に安全剃刀なら大丈夫よと声を掛ける。病弱だった娘が嫁ぐ、これで父さんは安心して逝けるよと、そんな父の心に被せるように、そして涙を振り払うようにシャボン玉を吹く。どのページを広げても温かい情愛が伝わってくる。 木村さんは、小学生の頃に肺結核になり闘病生活を送ったため、三歳違いの妹と共に私たちの同期生になったという。呼吸器の病気で息苦しさを抱えながらの生活の中、数多くのエッセイを書いているが、その凛とした文章は心を揺さぶる。また、山野草や自然を題材とした文章には草花の写真がついているのも知識のない我が身には嬉しい。
 まだ読んでいない前作も読んでみたいが、これからも、新しい文章を読みたいものです。



『祈りの花』