編集後記        
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■オジャマムシの委員から
 6号の「お仕事拝見」に登場させていただき、昨年は還暦記念として母校にタイサンボクの記念植樹担当と、卒業以来、40年以上まったくご無沙汰の十六期の皆様と交流が復活しました。それどころか、皆様の絶えることのない諸々の企画に悪乗りして、今はすっかり『泰山木』漬けの毎日です。
 そんなわけで、編集会議の招集がかかれば、毎回ノコノコでかけるものの、いつもバカバナシに終始し、会議の邪魔ばかり。編集長ならびに「正規」編集委員各位にお詫びする次第。
 でも、庭師稼業と酒びたりであったであろう、還暦後の大きな支え・楽しみであるには違いありません。未参加の皆様もいかがですか(一回かぎりでもお叱りはなし)
■『泰山木』の編集部の末席を汚して
 早5年の歳月が流れました。その間の編集会議、様々なイベント、メーリングリスト(ML)等への参加を通じ、十六期の皆様との交流が年々増え、だいぶ前に仕事から離れた私にとっては、大いに楽しみながらあらゆる分野の刺激を頂くことのできる何よりも貴重な場となりました。
 特に昨年は、妹から姪の突然の病気を聞かされ、「通院中の医院の医師への不信感があり、転院したいがどんな病院がいいのかわからない」との相談を受け、その病気に関する知識が全くない私は、ただオロオロと心配するだけでした。思いあぐねてMLで皆様にお知恵拝借のSOS発信をしたところ、すぐに大勢の方々から心温まるメールが返ってきて感動しました。MLはもちろん、個人メール、あるいは電話までかけてきて下さった方も。いろいろ参考になる情報やご意見を頂き、どんなに力づけられ励まされたことか。今思い出しても胸の熱くなる、それぞれに心のこもったアドヴァイスを頂きました。皆様のやさしさに触れ、暗闇の先にぽっと明かりが灯ったような・・・。
 今後の長〜い第?回目の青春時代を過ごしていく私に欠かせないのは、飾る必要のない、素のままで、本音を語り合える十六期のお仲間達です。毎回メールを開ける度に、そのことを実感しております。
 今まで『泰山木』の活動に関心のなかった皆様もどうぞ、お気軽に『泰山木』あるいはMLにご参加ください。新しい、思いがけない世界が広がること請け合いです。
(田中蓉子)
今回、「私たちの生まれた頃」を担当しました。メールや葉書で次々に入ってくる戦争末期の様子や、戦後の混乱の様子などを読むだけでも、胸が締めつけられる思いでした。
 大きな議論もないまま、防衛庁が防衛省になり、みどりの日が昭和の日になるといったことに、とても不安を覚えます。戦争の悲惨さ、愚かさと平和の大切さを私たち自身が心に刻みつけるとともに、広く社会に訴えるための役に立てればと思います。
(岸本郁江)
我が家の愛犬ラブラドールのレオ君は、12歳半を過ぎた。ここ半年でだいぶ足が弱り、歩いていてよろけたり、躓いて転んだりする。50メートルぐらいがちょうど良い散歩の距離で、30分ぐらい掛けて散歩する。(ほとんど休んでばかりいるのだが・・・・)相変わらず散歩は大好きである。調子の良い時はかつて散歩したコースを歩もうとして少し遠くへ行く。しかし、往きは一生懸命歩くのだが、帰りは『疲れたから、だっこして・・・』といって、座り込んでしまう。毎回、帰りは35キロのレオ君をだっこし、15メートル歩いては休み休みして、やっと我が家へ帰ってくる。おかげで、腰痛を心配しながらも、腕力を鍛える毎日の犬の散歩である。
(山岸忠雄)
年々、欲しいものがなくなってきた。年々、外で酒を飲むことも少なくなり、夕方に手酌で飲む少しの酒が実に美味しく、とりわけ今夜は何を肴にしようかと思いめぐらすことが楽しくなってきた。年々、外食に贅を尽くそうという気が乏しくなり、朝飯に変わらぬ納豆と味噌汁がますます美味しくなった。年々、絵画や古いジャズに関心が深まり、能や歌舞伎をもっと観たいと思うようになった。年々、バカ笑いやバカ踊り、カラオケなんかをもっとしたいと感じるようになった。・・・・さて、こういうことを老化と言うのだろうか。
(岩野浩二郎)
■『新しい力』に元気を得て
  この『泰山木』も平成11年の創刊準備号から数えて今号で9冊目となりました。
 還暦を過ぎ、定年退職等で時間に余裕ができた方が増え、編集会議に顔を出して下さる方が増えてきました。編集会議に新しい顔が見える度にうれしくなり、元気が出ます。
 十六期のメールサークルのメンバーも、ここ1,2年でだいぶ増え、十六期のイベントも年々、バラエティ豊かになってきていますし、この『泰山木』もますます楽しくなっていきそうです。時間に余裕ができた方、ぜひぜひ顔を出して手伝って下さい! 
(野崎晴美)
今回もやっと『泰山木』出版にこぎつけ、ほっとしました。実労働している皆様ほんとうにご苦労さまでした。ありがとう。本を待っていてくれる人達もありがとうございます。編集会議に出席できて嬉しいし、皆様と友達でいられて楽しいし、なんだか、「ありがとう」ばかり思う昨今です。
(野口住江)
二年ぶりにDTPを一部担当しました。何年か前は明け方までDTPをやって、次の日仕事に行けたのに、最近は、仕事を終えて帰ってきて、夕食の用意をして、その後仕事をするなんて、明日のことを考えるとできなくなってしまいました。週末にまとめてしています。
 元気だと思ってもやはり、還暦をすぎたのだと実感する日々です。
(山岸勝子)
10年近く前に知人から頂いた五つ葉のあけびは、花は咲くのに一向に実が付かなかった。数年前、同類異種でなければ結実しないことを知り、早速三つ葉のあけびの苗を手に入れ、となりに植えてみた。そのまま放置しておいたら実は付くようになったものの、秋まで持たない状態が続いている。
 余りに鬱蒼としてきたので葉が落ちた12月上旬に思いきって剪定をしたところ、2,3メートルもあるつるが何本もとれた。ふつうなら小さく切って処分するのだが、正月の生け込みに使えるかもしれないと思い階段の手すりにからめ保存しておいた。もちろん水につけることもなく、ただ乾燥するにまかせたままであった。暮れもおしつまったころ、毎年恒例になっている正月用の生け込みをしてみると、大小合わせ、5,6杯の生け花は全てあけびのつるが主材になってしまった。 1月中旬になると枯れたはずのあけびのつるは、勝手に水上げをして薄緑の新芽をのぞかせていた。
 わずか直径5ミリ程のつるの中にどんなエネルギーを蓄えていたのであろうか。さらに驚くことに、暖かい部屋に生けておいたあけびの新芽はすくすくと育ち一部は葉に、さらに何か所にも蕾がついた。今では3ミリの雄花を6,7個従えた雌花は、5ミリ以上にもなってすぐにも咲きそうである。
 改めて植物の生命力の強さを思い知らされることになった。
(根岸佑治)
いまだに片道 1時間20 分の通勤をしています。給料のほうは歳と共に大幅に減っていくのに通勤時間のほうは一向に減らないのでやむを得ず 一時間弱の車中は読書タイムと決めています。車中での立ち読みに適した本はストーリーが面白いことともう一つ物理的に小さく軽いこと。
 今回、海津正彦さんの訳書の紹介文を書かせていただくために 3 冊の訳書を通勤電車で読みました。内容は面白く第一の条件は完全クリアなのですが、第二の条件の方は問題で、中に1冊分厚いハードカバーがあり重くて立ち読み中何度か取り落としそうになりました。
 1年ほど前は泉鏡花の流麗な文章に圧倒され何冊も読みましたがストーリー性という意味では難あり。何しろストーリーの動きの9割がたは小説の最後の数ページに来るので鏡花にとってストーリーなんかどうでも良いと考えていたのではないかと思えるほど。鏡花の『婦系図』は新派では「湯島の白梅」ですが、有名な「切 れろ別れろのッて、そんな事は芸者の時に云ふものよ。・・・・私にゃ死ねと云って下さい。」の台詞も原作にはないし、そもそも湯島の聖堂で主税がお蔦に別れを告げる場面からしてないのですから。それに主税が昔は掏りだったなんてオイオイいい加減にしてくれとあの世の鏡花さんに文句のひとつも言いたくなります 。
 現在読んでいる塩野七海の『ローマ人の物語』はハードカバーで 15巻、文庫本で28冊の大作ですが、歴史の事実が下手な創作よりよほどストーリー性に富んでいて、文庫本のお陰で立ち読みも楽、あっという間に14冊目になってしまいました。何時まで通勤電車読書を続けることになるのでしょうか。
(上阪信道)
第一回『ハロー! 季節』の入賞が発表されると、MLはたいへん賑やかになりました。やりとりの一部をちょっとご紹介します。
★風子さんの選に選ばれてすご〜く嬉しくって、今日は昼から仕事が手に付きませんでした。(第一席の無量)
★風子選者のコメントを読んで、自分の「読み」がいかに浅いかを思い知らされます。(マツモト)
★107句と向き合っているときは、句の鑑賞に集中していて病気の不安を忘れることが出来ました。一句一句鑑賞することが、楽しかったからです。(風子)
★人気投票一位のRyoさん、風子選一席のおさげ髪さんも、しばらく本人探しということで、長く遊べる楽しいイベントになりました。(浦島)
★Ryoさん、互選・風子選の受賞句計26句のうち、8句を独り占め。何者か、さ、さっ、白状せい! ニャロメ!(匿名)
★ この話題で飲み会ができるね。(春眠)
★俳句が出来なくても、こんな形で参加して「ぷったり賞」。僕だってまんざらでないよ、と錯覚させてくれました。(アマーゴ龍之介)
★「ワーイ!ペッタリ賞!」うん、嬉しい。こんな形で参加できて良かった。(チー子)
★次回は投句してみようかなどという気にもなっています。(みゅーたろ)
 たった今、この編集後記についてスタッフにご相談したところ、ブログ管理人より『Ryoさんは岸本郁江さんである』とご連絡いただきました。えー! さすが!  そういわれれば・・!  最後の最後まで楽しませていただきました。
(泰山木ブログ事務局スタッフ・
若井千鶴)
「泰山木」編集作業からは、このところご無沙汰。代りにというわけではないが、一昨年、昨年と奥飛騨の福地温泉と福地山登山の旅を提案。仲間にはおおいに楽しんでもらえたと思う。さて、今年はどうする?  日本全国温泉多しといえども、値段、たたずまい、ハイキングの三拍子そろった温泉となると探すのが難しい。お勧めの所があればお知らせを。
(内田泰明)
■「私たちの昭和史」(1)の「名前の由来」を読んで、親たちの思いがひしひしと伝わってきました。私の名前は、本文にも書きましたように、父の青春と深く絡んでいるようです。しかし、断片的に思い出を聞く以外、詳しい話を聞くこともなく父は他界してしまいました。母も重度のアルツハイマーで、今は何も語れません。もっと早くに「聞き書き」をしておくのだったと、悔やんでいます。そういう意味で「立高」という共通の三年間を送った私たちの「昭和史」を記録にとどめておくことは、私たちの責務だと思うのですが、いかがでしょう。次号の『泰山木』9号では、「私たちの昭和史」(2)として、「幼少年時代の思い出」を記録に残したいと思います。詳しくは、「募集要項」をご参照ください。ふるってのご参加を期待しております。
(片山布自伎)