特別寄稿

サルディニア島


鈴木 秀生

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 サルディニア島という島をご存知ですか。コルシカ島はナポレオンが島流しとなった島のせいか良く知られています。そのコルシカ島のすぐ下(南)にある大きな島です。コルシカ島はフランス領ですが、サルディニア島はイタリアです。ゴッドファーザーで有名なシチリア島より大きな島です。
  
 私はこの島に一昨年11月まで勤務先の子会社(工場)の代表として二年以上滞在しました。またその前9年間は日本側の責任者としてたびたび訪問(約30回)していましたので、かれこれ11年間この島で仕事をしたことになります。
 私の住んでいたのはサルディニアの南端にあるカリアリというところです。イタリアといってももう少し南に下がればアフリカです。チュニジアや「ここは地の果て」アルジェリアといった国です。つまり地の果ての一歩手前といったところです。春先にはアフリカの砂漠の砂が風に乗ってやってきて(シロッコと言います)空が真っ黄色になり、泥のような雨を降らせて車の色がわからなくなるほど汚してしまいます。地中海の真ん中で温暖な気候といってもカリアリの夏はかなり暑く、四〇度を超える日もよくあります。ただ湿度が高くないので、家の中や日陰にいれば結構過ごしやすく、日本の夏よりも楽な感じでした。島の北部の地域はもっと温暖で、ヨーロッパの保養地として有名です。ジャクリーン・ケネディ夫人と結婚した大富豪オナシスの別荘など多くの世界的な金持ちが集まるリゾート地で、映画「太陽がいっぱい」のロケ地となったエメラルド海岸などもあります。
 そのエメラルド海岸に代表されるサルディニア島の海はどこに行っても非常にきれいです。地中海の海は大きな波がなく実に穏やかです。浜辺の砂は真っ白で、水はどこまでも透き通っていて海底の岩や魚がよく見えます。ほとんどの海岸線が自然のままで人も少なく、静かな雰囲気の中で美しい海を楽しむことができます。私の会社にシチリア出身の女性がいますが、彼女の話ではシチリアやその周辺の島々もとても海がきれいだがサルディニアが一番きれいだとのことですから、きっと地中海の中でも特にきれいなのだろうと思います。
 少し島の内部に入っていくと、どこにも小高い山の上に大きな石を積み上げた円筒形をした城のような遺跡を沢山見つけることができます。これはヌラーゲといって紀元前5000年頃に作られたという、城砦とその周辺の住居の跡だということです。すでに7000箇所以上見つかっているそうですが、これからも沢山発掘されるだろうとのことです。島の中央部の比較的高い地域にはコルクの木が沢山植えられており、その中の岩だらけの場所にこのヌラーゲの一部が姿を見せている風景は、サルディニアのひとつの顔だと思います。とても印象的です。このヌラーゲ文化は、遠くモンゴルからトロイを経由してきた民族によるものとされています。
 この後フェニキア人がこの島にやってきて、海岸の近くに住み着いて主に漁業を行なっていたとのことです。彼らはいわしを取って塩漬けにして、ヨーロッパ本土のほうへ船を使って売り歩いたそうで、それがサルディニア風の魚、つまりサーディンとなったといわれています。
 BC230年頃にローマ人がやってきて、島を征服しました。しかし島の中央部の人たちは服従せず、ローマの文化を受け容れようとしなかったようです。ローマ人たちは彼らをサルドと呼んで野蛮人扱いをしていたようです。カリアリやその周辺にもローマ時代の遺跡が沢山残っています。円形劇場や下水道の跡など、私がローマや南フランス、またチュニジアで見たと同じローマ時代の遺跡がこの島にもあることでローマ帝国の大きさを感ずることができました。その後ビザンチンに征服され紀元1300年頃にはスペインのアラゴン家の支配に変わりサルディニア王国となりました。
 このように入れ替わり立ち替わりいろいろな民族の支配を受けた歴史を背景に、イタリアの本土の人たちとは違った文化が形成されたようです。食習慣や、その顔つきや性格も異なっています。この島の人たちは現在もサルドと呼ばれ、かなり訛りのある、サルド語といわれる独特のイタリア語を話しています。顔つきはいかつく眼光が鋭く、日本人とほぼ同じ背丈で、色は浅黒い感じです。性格は非常に自尊心が強く、保守的で、よそ者に対して疑い深い、あるいは慎重な態度をとります。ただ、ひとたび気心が知れ、親しくなると、非常に強い友情をもって接してくれます。
 勤務先の前人事課長はローマ出身でしたが、彼は「ここでは人事の担当はイタリア人には務まらないので会社を辞めたい」と言ってきました。私は彼が「日本人が人事課長をしたほうがいい」と言っているのかと勘違いしてしまったのです。よく聞いてみたら、イタリア人でなくサルド(サルディニア人)でなくては無理だと言っていたのです。このように、イタリア本土の人たちはサルディニアをイタリアでないと思っているようなのです。また、ローマ人には、サルディニアの従業員達との意思の疎通が難しかったということなのだと思います。しかし、そのおしゃべりなこと、時間などにルーズなこと、言い訳がうまいことなどはイタリア本土の人たちと五十歩百歩だと思います。
 そのような土地で日本人が会社経営をするのは大変なことでした。特に労働組合との交渉は困難を極めました。もともと倒産し立て直しをしなくてはならない状況の会社を買収したので困難は承知でしたが、従業員や労組の役員、その上部組織の人たちと、相互理解をするのは予想以上にきつい仕事でした。イタリアの労働組合はヨーロッパの中でも権利意識が強く、中でもサルディニアの組合は頑迷であるといわれています。サルディニア人の自尊心の強さ、保守的な態度がそうさせるのだと思います。また日本人のようなよそ者を信用していないのです。そのような中で、再建の施策として、従業員の半分を入れ替えたり、長い夏休み(ヨーロッパでは長い夏休みは常識です)を半分にすることなどを実行したのですが、その大変さは想像していただけると思います。しかし、この交渉の中で厳しい対立をした組合の幹部達も、最後にサルディニアを発つときには皆昔からの親友のようになってくれました。中には今でも家族ぐるみの付き合いをしている人もいます。
 
 さて、単身赴任だったので一番の課題は毎日の食事です。最も困ったのは外食でしのぐのが困難なことでした。カリアリにはさすがに中華料理店は三軒ほどありましたが、日本食のレストランは一軒もありません。もちろんイタリア料理レストランはたくさんありますし、おいしいのですがとても毎日の食事に利用するには適していません。まずイタリアのレストランは、夕食時、早い店でも八時にならないと開きません。また、どの店も基本的には前菜(アンティパスト)、その次に、パスタを食べて、その後主菜に魚料理か肉料理というパターンは変わらないので、時間がかかるのが問題です。そしていろいろ店を変えてみても、多少は料理が変わってもさすがに毎日では飽きてしまいます。それにイタリア料理はボリュームたっぷりで毎日食べていたのでは身体に良いわけがありません。
 そこでほとんど毎日自炊をしておりました。幸いなことにカリアリは地中海の真っ只中にあるので海産物が豊富で、気候も温暖でたくさんの種類の野菜や果物が安く手に入ります。醤油、味噌、それにコシヒカリを持っていけば、毎日おいしい日本食を作ることができます。
 まず上等のマグロです。地中海マグロというのはとてもおいしいので有名です。良いものはみんな日本の商社が買っていってしまうらしく値段が上がっているとのことですが、それでも我々から見るととても安価です。市場へ行くと2〜3キロの長方形のブロックで売っています。カリアリではトロでも赤身でも値段に区別がありません。それでも魚屋の親父達はトロのほうがおいしいのを知っていてまな板の下に隠しています。そこで、「白いのを出せ(ビアンコ)!」というとニヤッと笑って出してくれます。長方形の六面を一センチぐらいずつそぎ落として、きれいな中身だけを取り出して刺身として食べていました。もちろん冷凍をしていない生きの良い生のマグロですからまずいはずがありません。心ゆくまで堪能しました。
 またえびがとてもたくさん取れるようで、たくさんの種類のえびを買うことができます。私の好きだったのはスカンピという手長えびです。これを半身にして焼いて食べると、かにに似たような軟らかい肉質で、いくらでも食べられます。貝もたくさんあります。
 カリアリで珍味といえば、ボッタルガがあります。鯔の卵を塩漬けにして干したもので日本のからすみと全く同じです。これをスライスしてオリーブオイルをつけてそのまま前菜として食べたり、おろし金でおろして粉にして、パスタにからませて食べるのがポピュラーです。日本では明太子スパゲッティでしょうが、それより濃厚な味です。
 カリアリでは魚も比較的シンプルに、単純に塩焼きをして食べるのが通とされています。からすみを食べたり、魚は塩焼きが良いなど、日本人に似たところがあり、やはり海の幸に恵まれた人々はうまいものを知っているのだなと感じています。
 野菜ではトマトが豊富でした。日本と違うのはみんな完熟トマトです。鮮やかに真っ赤に熟れたものを売っています。形も千差万別で、大きいものから小さいもの、細長いものなどスーパーマーケットでも山のように売っていました。味が濃くておいしくて、日本ではあまり食べなかった私もカリアリのトマトは大好物になりました。緑の野菜ではルッコラをよく食べました。菜っ葉のくせに香ばしい香りがして生のままサラダにして食べるといくらでも食べられ、野菜不足になりそうな自炊生活ではとても貴重でした。
 果物ではなんといってもぶどうです。地中海気候はぶどうの生育に適しているらしく、いろいろの種類のぶどうがありましたがどれも甘さが濃密です。
 ぶどうがうまいということはワインがうまいということなのですね。日本ではワインはフランスという意見が大勢を占めているかもしれませんが私はイタリアのワイン、特にサルディニアのワインは世界に冠たるものだと思います。ただサルディニア人はそのことに気づいていないのか、商売っ気がないというか、もっと日本へも売り込んだら良いと思います。
 サルディニアのワインがおいしいというのは私だけでなく、マイクロソフトのビル・ゲイツも同意見のようです。実は私の好きなワインに「トゥーリガ」という銘柄があります。初めてカリアリに行った頃は、1本2万リラ(当時で1500円程度)で買えました。それでもカリアリのワインの中では最も高いワインでした。これがフルボディーでしっかりした味の、私の好みの赤ワインでよく飲みました。ところが四、五年前にビル・ゲイツがその財力に任せて買い占めたのです。彼は、かのエメラルド海岸に豪勢な別荘を持ち、海に豪華ヨットを浮かばせてこのワインを楽しんでいるとのことです。そのため現在は、なかなか手に入らなくなっていて、無理に注文すると100ユーロ(1万5000円)程度で、実に10倍の値がついています。 

 サルディニアの思い出話をしだすときりがありません。この続きは今度直接お会いしたときにでもお話いたします。