特別寄稿

桜の花びら漬け顛末記


川俣(山下)あけみ

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 4月12日、何日も前から気にしていた天気予報が嬉しい方に外れ、雨にならなかった。予定の10時に、羽村の駅に降りた。階段の下で、今日の主人公上村さんと菅野さんが待っていて下さった。上村さんの帽子の下からのぞく金髪にちょっとビックリ。今日の朝からの参加者は他に田中蓉子さん、松本(井上)節子さん、野ア(武藤)晴美さんと私。会う早々「どうもすみません。皆さんに謝らなくてはなりません。桜の花がまだ咲いてないんです。枝を切って部屋の中に入れ、ストーブを焚いたりしたんですが」と、上村さんがしきりに恐縮なさるが、奥多摩のドライブ、温泉入浴、飲み会と他にイベントがいっぱいあるのだから、誰も気にしていない。桜の都合もあるのだからその責任まで引き受けないで、と皆の顔は言っていた。
 上村さんの借りて下さったレンタカーに乗り、まるで小学生の遠足気分で出発。一路、数馬の蛇の湯温泉に向かうはずがちよっと寄り道となる。そこに植えてあるミツバツツジを見せていただくことになり、上村さんの奥様のお母様宅を訪問する。ところがこれが想定外のもうけものであった。手入れが行き届き何種類もの山野草が咲き始めていて、なんとも風情のある庭なのだ。立ち去り難かったが先を急いだ。
 車窓に流れ行くまだまだ盛りのソメイヨシノ(まだ固い蕾で上村さんを悩ませているのは八重桜)、モモ、ミツバツツジ、芽吹き始めた木々の緑などに目を奪われながら、だんだん奥多摩の更に奥深くに入って行く。途中、人里、笛吹というような初めての人には絶対読めない地名があるのだが、その「笛」からの連想で「笛吹き童子」が出、「紅孔雀」が出、「新諸国物語」が出て、夕方この放送が始まると慌てて遊び先から帰ってきた話になる。卓袱台と呼ばれた丸い食卓を囲んで、食事をしながらラジオ放送に耳を傾けていた日々が、昨日のことのように目に浮かんでいた。皆も同じ光景を思い浮かべていたのではないだろうか。貧しかったけれど心は満たされていた時代を。
 時々薄日が差したり今にも降りそうになったりのお天気であったが、車の中の善男善女、老々男女の遠足気分はエスカレートするばかりで、目も口も限りなく忙しい。
 蛇の湯温泉「たから荘」はひんやりとして寒く、大木のソメイヨシノの蕾はまだ固かった。渓流沿いに建ち、絶えず川音が聞こえ、まさしく多摩の奥座敷である。温泉に入り、山菜尽くしの昼食に満足し、この地の名物こんにゃくを買い求め帰路につく。往路同様、目と口はフル回転。そして、またもや想定外の事が。途中だから新町に寄って下さると言う。
「新町」は私の生まれた地で、そこで八歳まで暮らした。最寄の駅は羽村の隣の小作という所だ。ここは父の故郷で、戦争の末期に疎開し結局そのまま八年間居ることになるのだ。ここが私が初めて目にした世界であった。茶畑、麦畑、お寺の竹薮に咲き満ちていたスミレ、藁葺き屋根から下がっていた長い氷柱、二教室だけの分教場、火の見櫓、釣瓶井戸、母に手を引かれて通った遠い遠い診療所、何でも屋のおばあさん、紙芝居のおじさん。今でも目の奥に残っている風景だ。けれど、それらはどこにも何一つ残ってはいなかった。家の前がお寺(後日、上村さんが送って下さった写真により東禅寺という名前であることを知った)だったはずと思い、捜すと山門が在ったが、その前に立ち並ぶ家々に私の思い出に繋がる物は全く無かった。50年の歳月が確かに流れていた。
「サクラッカブ」が上村さんとの共通の思い出の場所であった。彼は幼い頃、この辺まで足を延ばしたとのこと。五差路のようになった角に何でも屋があり、そのあたりをこう呼んでいた。何故そう呼ぶのか考えたこともなかったが、当時からサクラッカブと言っていたということは、すでに桜は無く、切り株だけがあったのだろう。当時は、大きな瓶に入って並べられた色とりどりの飴玉ばかりが目に入り、切り株の事など全く関心が無かったが。ここを「サクラカブ」と言ってはあの光景は浮かばない。跳ねるように「サクラッカブ」と言わないとだめなのだ。「オトッツアン」で思い浮かぶ人と「オトウサン」で浮かぶ人が違うように。
 羽村の駅で白井(古堅)千賀子さんに会い、ようやく上村家に着く。奥様と直行組の岸本(斉藤)郁江さん、山岸(片貝)勝子さんに迎えられ、挨拶もそこそこに近くのチューリップ畑に行く。国の減反政策に対応し、観光用の町興しとしてチューリップを植えているのだそうだ。かなり広い土地に何種類ものチューリップが植えられている。形も色もさまざま。盛りのものも固い蕾のものもある。俄か作りの展望台まである。今日三つめの想定外のもうけものであった。
 そしていよいよ今日のメインイベント、花びら漬け教室となるところだったが……。チューリップ見学の間にパッと……などというのは甘すぎた。無情にもバケツの中の桜の大枝には何の変化も無い。しかし、梅酢を入れる容器まで用意して下さった上村さんの無念さ(?)に同感したのも束の間、文字どおりの花よりダンゴで酒宴となる。
 ノビル、ツクシ、カンゾウなどの料理が食卓に並べられる。「どれもその辺で採れたお金のかからないものばかりですよ」と奥様はおっしゃる。けれど、その、その辺産のおいしいこと。大賀ハスの油いためもいただいたが、このハスは庭の水槽産とのこと。植木屋さんから調理師に変身した上村さんは、食卓と台所を行ったり来たり、立ったり座ったりの連続。その辺産ではない鰻の皮の塩焼き、さわら、あじのお刺身も次々と並べられ、次々と空っぽになっていく。ちなみに、このお刺身を盛り付けたお皿は上村さんの手作り品、付けた五郎兵衛醤油は五日市の名品であった。差し入れのアルコール類や手作りのお菓子も開けられて、宴たけなわとなる。私もビール、ワインを沢山いただいてすっかり良い気分になり、今日の主目的がこれであったような気がしてきた。話題も多岐にわたり盛り上がったが、今その内容をはっきり思い出せない。それはこの飲み物のせいと思いたいが、それにしては食べ物のことはこんなにはっきり覚えているのが不思議だ。酔いのせいではなく、老いのせいかな。老いても食欲は無くならないそうだから。
 結局桜漬けの作り方は分からなかったが、それはまた来年のお楽しみということに。開花期に多少のずれはあっても、春は必ず来るし、桜は必ず咲くのだから。
 十時近くに散会となり、息子さんの車で駅まで送られ帰路に着いた。盛り沢山の長い一日だった。
 二週間ほどして上村さんから一通の封筒が届いた。中から出てきたのはピンクの色も鮮やかな、見事に出来上がった花びら漬けだった。さっそくお湯に浮かべて飲んでみると桜の香りが口の中に広がった。翌日は炊き込み御飯にしてみた。皆さんそれぞれの工夫で楽しまれたようで、写真は野アさんの作品だが、色取りが美しく見ているだけで楽しくなる。