●インタビュア/青木 孝
(2007年1月13日、札幌/北海道新聞本社役員応接室にて)
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時代の先端で新しい道を探る
--- 久しぶり(注参照)。ホテルで皆に会ったとたんインタビュアを指名されちゃって、ぶっつけでいくけど、よろしくね。(「常務取締役/制作・メディア担当」と書かれた名刺に目をやりながら)まず、今はどんな仕事をしているのかお聞きしたいんだけど。
(注 青木君が札幌管区気象台に赴任していた頃、やはり北海道に赴任していたナイガイの長澤嘉一君、日本エアシステムの尾崎成孝君、みちのく銀行の川村敏彰君、そして池田君の五人は夜の「すすきの」で旧交を温めたのもしばしばとか)
池田  北海道内にある六つの印刷工場の維持・管理と建設。新聞を製作するためのコンピューター・システム関連。お金が一番かかる部門です。それにメディア部門。記者を何百人も使って集めたニュース、情報を、例えばヤフーなどがやっているインターネットを通じて提供することですね。
--- ヤフーなどのメディアに集めた情報を提供するっていうこと?
池田  ヤフーなどには提供しない。だって、ヤフーなんかは記事を安く買って流しているだけだが、こっちは記者を何百人も使って情報を集めているんだから、そんな簡単にそれを利用させるわけにはいかないよ。(笑)
--- そうするとどういうことかな。わからない。
池田  インターネット時代に対応した、新聞広告を土台にして、それとミックスした新しい広告の提供っていうかな。
--- うーん。
池田  わからない? たとえば、北海道新聞の広告を見て、北海道新聞のポータルサイトにアクセスすればそこでインターネットを通じて情報を利用できる、そういう広告とインターネットがミックスしたものをつくっているわけ。
--- うん、少しわかってきた。そうすると新聞社としてのニュースとかは……。
池田  新聞社としてはあくまでもニュース、あくまでも新聞記事が基本。新聞社は商品として新聞を売ること、その商品価値に付く広告、この二つでずっとやってきたんだけど、若い人たちの新聞離れと、広告がインターネットに流れるっていう時代状況の中で、第三の収入の道を模索しているんですよ。新聞社の持っている確かな情報を集め発信する力と広告力、それとインターネットをミックスした新しい情報提供、ペーパー・アンド・インターネット、ペーパー・ウィズ・インターネットという新商売の開発に取り組んでいるわけです。

毎日が試験の新聞づくり
--- 北海道新聞、道新さんはブロック紙として北海道全部をカバーしているんですよね。
池田  ええ、発行部数は朝刊が121万部、夕刊が65万部、一時より10万部くらい減っていますが、186万部ですか。日本で7番目、世界で13番目くらいの発行部数です。
全員  えーっ、13番目!
池田  日本は発行部数が多いんですよ。(笑)
--- そういう重みのある新聞を出していて、どうですか?
池田  毎日読者から3000くらいの批判と応援の声が届いていますが、この記事は視点が違うとか、この一行が私を励ましてくれたとか、批判と応援は半々くらいかな。読者からの生の声が毎日届きますから、新聞というのは毎日が読者から試験判定されているようなものですよ。ですから、役員も毎朝9時45分から紙面会議やるわけです。
--- 毎朝ですか。
池田  ええ、出張している者を除いた社長以下みんな揃って、その日の新聞について編集局長が説明してから、この記事は扱いがおかしいとか、見出しの取り方が一方的ではないかとか、そういうことを毎日議論しているのです。まあ、出てしまったものにいろいろ言ってもしようがないという編集局の現場の反発はあるにしても、大半の役員は編集局上がりですから、紙面を見ればこれおかしいとか、長年の経験でわかるんですよ。
--- そうでしょうね。
池田  現場は現場で忙しいから、判断ミスもあれば、作業上のミスもある。毎日毎日40ページ近い紙面に載る原稿が動くわけですが、製作工程の川上から川下のどこかで一箇所でも間違えると大変なことになるわけです。出口の配達なんかも、お天気や地震などの天変地異にも左右されるわけで、半日単位の勝負の連続なんですよ。
--- さっきも地震がありましたね。
(注 当日昼千島沖でM8.2の地震が起こり、津波警報が発せられていた)
池田  そうそう、はらはらしていましたよ。

悪いニュースばかりではない
--- 私が8、9年前北海道へ赴任したときはちょうど北海道拓殖銀行の倒産があったり、最近では夕張の問題がありますね。どうなんでしょう、新聞人としてそういう状況を見てきて。
池田  夕張はもともとは産炭地ですが、そういう産炭地はほかにもたくさんあります。また林業が盛んだった地も安い外材の影響で産業が衰退して人口が減り、産炭地と同じ状況で、まさに惨憺たる状況の地はいっぱいあるんです。でも、拓銀がつぶれてから10年、今北海道は苫小牧の自動車がいいんですよ。トヨタといすゞが提携して、両方とも工場持っていてロシアをにらんだ生産が盛んで下請け企業もどんどん集積しています。
--- それは中古車ではなくて、新車?
池田  新車、新車。トランスミッションなどを作っているんですよ。それから、新日鉄が復活したりして室蘭の鉄がすごいでしょ。そして産業のほうからいえばバイオ。帯広畜産大学とか酪農学園大学とか、北海道はバイオテクノロジーの先端地なんですよ。
--- ああ、酪農学園大学の学長は立高の先輩ですよね。
池田  そう、大谷俊昭さんね。でも今度替わられるんですよ。それから今北海道の米がめちゃくちゃ売れてるんですよ。
--- ええ、ええ、昨年も豊作で。「きらら」?
池田  「きらら」じゃなくって、「星の夢」。それからワインの生産量が近いうち日本一になるとも思いますよ。それからなんだろうな、そう、高校野球が頑張っちゃってる。
--- ああ、それにプロ野球も、日ハムね。それからサッカーもいいとこまでいったじゃない。
池田  昨年末に四強までいったよね。コンサドーレ札幌はJ2だけど。
--- 悪いニュースばかりでは決してないんだ。
池田  そうそう、夕張の財政破綻なんかから、北海道は大変なんだっていうイメージをもってるかもしれないけれど、明るいんだぞ、みんな。(笑)札幌にいるからかもしれないけど。どん底を経験したから、今ではみんな、夕張をどうやって応援していくかってことを考えている。そういう意味では新聞社は、新聞を発行することに加えて、地域の活性化という大きな事業をしているんですよ。夏の北海道マラソンとか、花火大会とか。花火大会なんて十何箇所で開いている。年間何億もかけて地域の活性化の事業に取り組んでいるんです。 

一人くらい地方を目指したって
--- さてここらで、今回の取材の最大のテーマ、「池田君、なぜ北海道?」ということを皮切りに、いろいろ伺いたいんだけど。大学は北大?
池田  いえ、いえ。僕は早稲田の政経です。簡単にいえば、大学の同級生に登別温泉の旅館の息子がいたんです。森繁の「知床旅情」がはやって北海道が大ブームになって、農協なんかの団体がどっと押し寄せて、手伝いに来てくれってことになった。で、一年と二年の夏休みに40日近く出稼ぎに来たんです。風呂を洗ったり、団体さんの宴会のお膳下げたり、布団の上げ下げ、玄関前の掃除なんかしたりした。その時毎日、北海道新聞を読んだわけ。朝日や毎日、読売などの、東京で読んでいる新聞とはぜんぜん違う、泥臭い、と思った。(笑)
--- 地元密着型で。
池田  そうそう。こういう新聞もあるんだなと思っていたんです。で、別に北海道新聞に入ろうと思っていたわけじゃないんだけど、四年になって「優」が三個しかなくてね。(笑)
--- 三個もじゃなくて三個しかか。(笑)政経は経済? 政治?
池田  政治。できれば外国を飛んで歩く商社へいってみたいと思っていたんだけど、就職相談の人が三個じゃ商社は無理っていうわけ。じゃ、どこがありますかって聞いたら、新聞社か出版社しかありませんって言うの。成績関係ないからね。で、新聞社受けようってことにして周りを見渡すと、みんな東京の会社ばかり狙ってる、九州から来た奴も北海道から来た奴も。なら一人くらい地方に行く奴がいてもいいかと思い、北海道行っちゃえってこと。親父には3年行かせてくれって言ってね。俺、電気屋の長男だし、ウンって言ってくれない。で、お袋が行李二つ作ってくれて来ちゃったんです。

東京勤務で長谷川秀行君と会う
--- 最初の赴任地は?
池田  滝川支局。炭鉱が周りにいっぱいあって、炭鉱事故がいっぱいあった。飛行機の墜落もあったし、三年間いたんだけど七件の殺人事件があった。僕のいたときだけやたら殺人事件が多かったんじゃないかな。(笑)
--- 滝川の後は?
池田  滝川から函館へ行ったんです。4年いてその後東京へ行ったんです。函館のときはミグ戦闘機が函館空港に突入してきて、一か月くらいあまり寝ない生活が続いた。あとね、『飢餓海峡』が出て、映画になって青函連絡船がブームになって、自殺者がすごく出た。年間30何件もあったよ。(笑)
--- 東京では?
池田  主に経済の記者で、大蔵、日銀、通産省とエネルギークラブを回っていた。その頃、亡くなった長谷川秀行君と東京商工会議所の流通記者クラブっていうところで再会して、吉祥寺だとか三鷹でよく飲んだね。武蔵境に住んでいたから、そこまで行けば這ってでも帰れるでしょ。(笑)
--- もうその頃はお父さん許してくれた? 三年たっているけど。
池田  うん。だって函館で結婚して子供ができたでしょ。それからすぐ東京に転勤で、住んだところが武蔵境。僕の実家は調布で深大寺突っ切ればすぐ行けるし、親孝行は十分しましたよ。
--- 東京勤務が終わって北海道に戻ったのかな。
池田  そう、初めての本社勤務。16年たってたかな。社会部で、組合の委員長もやったっていうか出されちゃったし。
--- 組合やってたときはどんなテーマに取り組んだの。
池田  テーマも問題も無いからやったの。(笑)
--- 何年くらい?
池田  一年。それまで役員も何もやっていないし、一回やればもうやれってこともないだろうって感じですよ。(笑)でも、北海道新聞の組合は全国の新聞社の中で一番強いと思いますよ。
--- 道新は学生にも根強い人気があるよね。
池田  今全国で47の都道府県があるけど、ほとんど全国から社員が来ていますよ。昔は六割くらいが北海道の人だったらしいけど、一時は試験が難しくなったせいか、新入社員の五割以上が本州の人だったことがあった。でも、やめていく人もけっこう多いんですよ、寒いとか、恋人に会えないとか言って。(笑)それともうひとつ、うちをやめて朝日新聞に行く人が非常に多いんですよ。朝日新聞にとっては人材供給センターですよ。(笑)それでも離職率は全国の新聞社の中でもきわめて低いほうですよ。居心地いいんじゃないの。(笑)創業以来、一度も首を切ったことがないし。そういうこともあって、今地元の、郷土を愛する人を少しずつ増やしていっているんです。
--- その後は?
池田  札幌で社会部の部員、経済部のデスク、社会部のデスクとやって、次は釧路の報道部長。それからまた本社に戻って、社会部長、政治部長、編集局次長とやってから、帯広に支社長で行って、それで役員になったのかな。
--- 記者時代、辛かったり口惜しかった思い出はない?
池田  これだと思って書いたのに没にされたり、直されたり、口惜しかったことはいっぱいあるけれど、一番口惜しかったのは、夕張炭鉱の閉山を日経にスクープされたことかな。自分は閉山は確実と思っていたので、親しくしている夕張炭鉱の人に詰め寄ったんだけど、顔を真っ赤にして否定していた。でも、次の日の日経の朝刊に閉山の記事が載ってしまったんだよね。 

最初のデートの日に「ください」
--- 函館で結婚なさったって言うけど、奥様はこちらの方?
池田  ううん。神代高校の人。
--- え、神代高校って、東京の?
池田  うん、中学の同級生。北海道に来るときガールフレンドとも、俺は北へ行くんだって言って別れちゃって、そのあと誰もいないんですよ。たまたま東京に帰ったとき、小学校から中学まで一緒だった近所の女の子が家に来たから、どっかに女の人いるかって聞いたら、なんとかちゃんまだ独身だっていうので、おお、それでいいって、すぐ連絡してデートした。(笑)
--- それで遠距離恋愛ってわけかな。
池田  ううん。その日にすぐ家に行って、くださいって言った。
全員 えー、その日にくださいって言ったの!
池田  親父さんには怒られちゃったよ。(笑)
--- おーおー、奥さんもビックリしたでしょう。それで奥さん「はい」って言ったの
池田  すぐ言うわけないじゃない。俺が勝手に言っちゃったんだから。(笑)お父さんは怒っているし。縁もゆかりもない北海道に長女を嫁にやるなんて大変なことでしょ。それで北海道に帰って支局長に相談したんだ。そしたら、お前も新聞記者の端くれなら、自分の字で誠心誠意お父さんに手紙を書けって。で、どういうことを書いたらいいかって聞いたら、まず、お父さんを安心させるために、給料多めに誤魔化せって。(全員大爆笑)倍に書いた。(またまた全員爆笑)お母さんが「あんたがいいと思うならいいんじゃない」ってことで彼女も決意したんですが、今では「若気の至りで失敗した」なんて言っていますよ。(笑)

骨は北海道の地に散骨を
--- ずっと池田君の歩みを聞いてきたんですが、ここらで立高でのことをちょっとお聞きします。中学は調布?
池田  調布三中。立高では三年間男子クラスだった。一年は何組だったかな、忘れたけど中川先生。二年がG組で秋山先生、三年がE組で倉員先生だった。
--- クラブ活動は?
池田  卓球部にいたけど、すぐやめた。ウサギ跳びばっかりやらされてね。一学期くらいかな。そのあと器械体操もやったけど、鞍馬ができなくてやめた。どっちかっていうと縛られるのが嫌だって言うとかっこいいけど、ずいぶん適当にやっていましたよ。(笑)
--- さあ、そろそろ時間もきたんですが、最後にひとつ質問。仕事終わったら東京に帰りますか。
池田  いや、帰らない。かみさんは僕が死んだら帰るって言っているけど、僕は帰らない。その理由のひとつはね、ふるさとの景色がもう調布にはないからです。実家がまだあるから、あるとき帰ったら、道路から建物まですっかり変ってしまって、実家への道間違えてしまった。それに、僕は北海道の人に世話になっているしね。
--- 家だけでなく墓も買ったら本物の道産子だそうですが、墓は買いましたか?
池田  いや、買っていない。散骨でいいんです、散骨で。(笑)。
--- うーん、それもいいかもね。長時間ありがとうございました。次回はぜひ同期会で会いましょう。
池田  こちらこそ。じゃ、札幌の夜の街に繰り出しましょうか。
(文責・片山布自伎)