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 下川正和くん(元剣道部・早稲田大学商学部卒・団塊世代と自然環境を再生する研究所設立準備中)は、平成十年の交通事故で被疑者のまま亡くなったご長男の無念を継いで、隠蔽されたままの事故の真実を明かすべく、事故を扱い裁いた大きな権力に対する裁判闘争を今なお続けている。悲しみと怒りを強靭な意志と努力と忍耐で支え、仕事以外のすべての時間を立ちはだかる壁にぶつけてきた。その結果は敗北に次ぐ敗北。しかし、まったくめげていない。定年退職後は自分のささやかな安逸にもぐり込もうとする多くの人生のなかで、なぜ敢えて困難な道を選ぼうとするのか、何を考えてのことなのか、どうするつもりでいるのか、率直に聞いてみた。

最初に、事故の発端はどんなふうだったの?
下川  平成10年(1998)の11月14日、ちょうど昼頃、阿蘇山の南にある熊本県上益城郡清和村の国道で起きた事故です。うちの息子は、それまで勤めていた会社を辞め、心機一転自分の人生を見直そうと400CCのバイクにテントや食器などを積んで、日本一周の単独ツーリングに出ていたところでね。警察の話では、「地元の主婦が運転する乗用車が信号待ちで停車していた時に、息子さんのバイクが後ろから追突した」ということだった。その頃、僕は定年後に本格的な百姓をやるつもりで、栃木の馬頭というところに藪のように荒れた放耕農地を手に入れて開墾に近いことをしていたものだから、夜中にやっと事故を知った。翌朝すぐ飛んで行ったのだが、息子は肝臓破裂で意識不明のまま、翌日に死んでしまった。奇しくも26歳の誕生日。男の子だから突き放して育てていてやっと大人としての会話ができるようになった。囲炉裏で酒でも飲み交わせるかと思っていたので、悔しくて、息子に申し訳なく、自分が情けなくて、あんなに辛かったことはなかった……。

事故は実際にどう起こったの?
下川  地元の警察は追突したと言うから、僕は息子の方に非があったと思い、乗用車を運転していた女性にお詫びしようとしたんだ。しかしなぜかなかなか会ってくれない。そこで事故を起こしたバイクと乗用車を実際に見たら、直感的におかしいと思った。乗用車の傷はリア部分にまったくなく、左後車輪のフェンダーのすぐ後ろあたりが激しく凹んでいた。(上の写真参照)ぶつかった角度は斜め横からなんだね。乗用車が本当に信号待ちで停車していたとしたら、バイクは道路に並行した歩道のほうから、しかもガードレールを超えてぶつかってきたことになる。それは真実とは思えない。逆にバイクが道路を直進してきたとすれば、車は左にハンドルを切っていた、つまり左折しようとしていたか、右から強引にバイクの前に進入してきたかでないと、その衝突角度は説明がつかない。
事故車
衝突箇所が左後方の側面に生々しく刻印され、衝突角度がどうあったかが示唆される。

なるほど。写真を見ると確かにそう思えるね。その運転者はどう証言してるの?
下川  ようやく警察官の立会いで彼女に会えたのは、息子の葬式が終わった後。しかしその時に、彼女はただ下を向いているだけなので、「息子の不幸を繰り返さないために何かしてやりたいので、本当のことを教えてください。たとえあなたに非があっても責めることはしない。真実を知るためにはなんでもします」と声をかけると、警察官がいきなり「この人だって悲しんでいるのだからそれ以上のことは聞いてはならない」と僕の口を封じたんだよ。隣に座っていた娘が、彼女の袖をつんつんと引っ張っていたのが印象的だった。

当事者なら事故状況は積極的に話したいはずだし、ことさら自分の 正しさ. なんかを強く主張したがるだろうにね。
下川  そういうことはなかった。事故現場に隣接した駐在所にいた警察官は、事故そのものに気づかなかったと言うんだ。後で調べたらこの女性は地元の名士の娘で、警察官とは旧知の間柄。あろうことか、彼女はこの警察官の同僚と男女の仲という噂があって事故後に結婚しているんだよ。

警察は、事故をどう決着させたの?
下川  交通事故だから刑事裁判として扱われ、被疑者つまりウチの息子の前方不注意で起きた事故で「業務上過失傷害」で送検されたんだけれど、「被疑者死亡のため不起訴」ということで終わった。被疑者というのは加害者です。まさに、死人に口なしということで、市民である僕らには捜査も起訴もできない。勝手に筋道が作られて、終わってはじめてことの経緯がわかるんだ。まったく関与できないまま終わってしまった。

目撃者はいなかったのだろうか?
下川  当初警察は「いない」の一点張りだった。こっちは、裁判なんて初めてだし、遠い熊本の地でのことでもあるし、周囲は彼女の地縁者ばかりだし、どうしていいか分からなかったよ。警察が作成したはずの事故当時の実況見分調書の写真や資料なども、実際には恣意的な虚偽に満ち溢れていたのだけど、刑事事件が決着するまで見せてもらえない。なんかうやむやに葬ろうとする雰囲気を強く感じたから、これは息子の死を無駄にしないためにも真実を知りたいと思った。それで、弁護士に依頼し、また専門の交通事故鑑定士の分析を活用して、相手側の女性を刑事告訴することにした。相手女性が憎いわけではなくて、そういう形の提訴でないと真実は明らかにならないのです。何度も何度も熊本に飛んで現場を調べ、道路での落下物とか道路に記された車のブレーキ痕などを調べていくほど、おかしいという直感が確信になっていったよ。僕らの解釈では、バイクの走行中に乗用車が無理な追い越しをかけて進路を妨害したということです。一応僕は技術者でメシを食ってきたので、いろいろな材の強度や変形にたいして工学的な知識はあるし、その視点から事故車をつぶさに観察した結果、衝突の科学的な態様が分析できたと思っている。

その告訴以降はどういう経過をたどったの?
下川  証拠不十分ということで、一年後の平成十一年暮れに不起訴となりました。こちら側と相手側との事故鑑定がまるで違っていて、警察が作った事故見分書が既成事実となって、敗訴です。またこの時、警察からはいないと知らされていた目撃者が、実は僕が現地に行った翌日つまり事故一一日後に出てきて、バイクが信号停止中の車に追突したのを見たと証言していたんですね、教育委員会の委員長とかの地元の名士です。話を作るのがうまい人ですね。闘志は衰えないけども徒手空拳。捜査権が無い。そんななかで相手側に損害賠償を求める民事裁判を熊本地裁に起こしたけれど、これも真実を認めさせるための壁が厚く、請求棄却で負けました。このときは、裁判所が依頼した地元熊本大学の工学部の教授の驚くべき鑑定が決め手となった。

想定される衝突形態
双方の疵方の疵合わせから分析するとこの角度でぶつかったことになり、路上の停止線に車があったとは考えにくい。(検証のために制作したビデオ)

CG動画で制作した衝突シミュレーションの一場面
走行中のバイクの前方を塞ぐように進入し、乗用車左リアの車輪にバイク前輪が拘束されたことが、路上のブレーキ痕や双方の車体の疵によって推測される。衝突の瞬間の衝撃で、バイクのハンドルが腹部を強打してしまった。

どんな鑑定だったの?
下川  結果的に言うと、あのような斜めからの「追突」という形もあり得るんだという論。専門知識を無視した見解を述べ、解析と異なる漫画を描いていた。根拠として数式を並べるので裁判官にはわからない。大学教官でも平気で魂を売るんだと唖然となった。科学者の態度として許せないぞと、またしても闘志が湧いてきましたね(笑)。それで、控訴しました。今度は裁判官にも分かる方法で、CG(コンピュータ・グラフィックス)を使った衝突の態様をプロに頼んでアニメふうに作成してもらい、実車実験もして撮影してもらいました。この頃になると、朝日新聞や毎日新聞の熊本版や週刊金曜日、バイク雑誌、それにジャーナリストの鳥越俊太郎さんのテレビ朝日の報道番組「ザ・スクープ」などでこの裁判のことを取り上げてくれ、こちら側に立って積極的に支援してくれるようになりました。とてもありがたいことです。

そういうことは裁判に影響を与えたのだろうか?
下川  いろんな人が好意的な関心をもってくれたのが、とても嬉しかったですよ。しかし実際の裁判は、そういうことを嫌うようです。壁はもっと厚く、平成十三年この民事の一審でも敗訴となりました。残念ながらこの裁判の途中で、当時の鑑定人と折り合いが悪くて弁護士を変えざるを得なかった。次は高裁です。ここではバイクと乗用車とがどのように衝突したのかを検証するために、両方の疵合わせをし、ほぼ僕と同じ見解の鑑定書が出たのですが、判決はまたしても控訴棄却です。僕が作成した意見書は、否定するときにしか引用されません。下働きをしている司法警察官の調査は絶対的なものらしい。僕には最高裁しか残されていません。法律論争でなく事実で争いたかったので、手に入れた実況見分書の現場写真をデジタルで画像分析をして、衝突で砕け散ったブレーキランプの破片などの落下物を探しました。これは思ったとおり、信号待ちの場所のもっと手前、実際の衝突現場だろうと思われるところに残されていました。それを再審のための画像解析資料として最高裁に上告しましたが、まったく検証されることなく門前払いの棄却。公判はずっと負け続け、損害賠償金を支払わさせられてきました。

タフだねえ。仕事をしながらどうしてそんなにエネルギーが出るんだろう。
下川  いやあ、それはシンドイですよ。自宅の日の出町から会社まで通うのに往復五時間近いし、それで通常のサラリーマン仕事の合間や後、そして当時は土日に馬頭で開墾の真似事をしていたけど、弁護士や鑑定士ほかの人たちと打ち合わせしたり、資料を作ったり、熊本に調査や裁判でもう二〇回以上は通いましたね。だから、毎日三、四時間くらいしか寝られない。これまでに自分で書いた意見陳述書だって、画像処理のCGソフトを使ったりしながら、何百枚書いたかなあ……。ともかく、白を黒とするようなことは絶対に許してはならない、それだけなんです。警察や裁判制度があんないい加減であってはならないんですよ。息子の事故で勝訴かどうか僕だってわかりませんよ。でも勝ち負けではない。何度も言うように、真実が認められる社会に近づけたいだけなんです。

まだ、闘うんですね。どんなふうにやるの?
下川  最高裁以降は戦術を変えてるんです。実は、警察の実況見分調書の写真が事故当日のものではなく、事故と異なる実態を捏造するために、実際には無かったものを置いて、日にちを変えて、後から撮影されたものであることが分かったんです。そういう警察の嘘を追及しようということで、新しい裁判を始めようとしています。これはしかし大変困難なことです。でもこの九年間に、僕は裁判を通して警察のいい加減さ、嘘、真実を隠蔽していくやり方、法廷の審理のやり方、弁護士と判事の関係、そもそも裁判というもの……それらの裏と表、盲点について実に多くのことを経験してきました。逆説的ですが、どういうふうにやると負けるか、彼らはどんな手を打ってくるものなのかがそれなりに分かった。この体験を眠らせないで、オープンにしたいと思い始めているのです。

闘い方の方法を変えるということなんだね。どんなふうに僕らは支援できるんだろうか。きわめて安易に思いつくのは、カンパとか署名とかになるが。
下川  いや、そういうことはありがたいけれど、正直どうでもいいんです。そういう関係でなく、できたら下川のやってきたことを自分ならどう思うか、どうするか、下川のやり方のどこに問題があるのかといったことを考えたり指摘してほしいんです。そのための資料も作ってあります。もし関心を示していただけるなら、お送りしたいと思っています。どうでしょうか、僕は基本的に、打たれても曲げられない融通の利かない男なんですよ(笑)。剣道部でもたくさん打たれましたからね。

分かりました。うまく言葉にならないけれど、少し感動しています。そのうち本にでもなるといいですね。
*下川正和くんのメールアドレス mashimok@cream.plala.or.jp
熊本の事故現場
ゆるやかに右へ向かう国道。左前方奥の看板のところに停止線があり、左へ行く道がある。事故当時は正面突き当たりに工事信号機があった。

下川浩央くん(享年26歳)と愛車