早川 正洋  2003年6月6日  ミケランジェロ 2 ロンダニーニのピエタ  P.01

ポルトガルのポルトの西の端に エスピーニョという港まちがあって
一時は そこにアトリエを構えようかと思っていました。
  ここは地の果てという風の イイとこ。 大西洋の風が吹きすさぶ。

結局 旅の空の下 四年目になり 今は西陣です。
ときどき 奈良へ行っては 白鳳や 天平、貞観の
ほとけさま達と 話し込んでいます。

ミケランジェロにチョットひっかかってしまってます。
1472〜75受胎告知   レオナルド・ダ・ヴィンチ

ロンダニーニのピエタ
ロンダニーニ伯爵が注文したので 「ロンダニーニのピエタ」と呼ばれています。
ミケランジェロ89歳の時、亡くなる3日前まで 鑿を振るっていたと言われて います。
                (1550年ごろから作り始め1564年 没年まで制作)

実を言えば わたし自身は ミケランジェロを好きではなかった。


ダ・ヴィンチは神の領域に住んでいるのかと思える 大天才。
いつも 尊敬 畏れ 憧れの気持ちを抱く。
一方、ミケランジェロはと言えば 人間業の極まりに立ったかのようで あまりに完璧。
どうにもならぬ思いが 敬して 遠ざける そう「敬遠」していた。
それでも、「ロンダニーニのピエタ」「囚われ人」などは、強く心惹かれるものでした。


野良から帰ったわたしに、娘の由紀が言ったことがある。
「お父さん、ミラノに行きなよ。絶対、お父さんは行くべきだよ!」

その時の言葉が、あれから ン年後の一昨年、わたしのヨーロッパ行きの後押しになっていた。

イタリアの旅の最後の方に、ミラノを置いた。
ローマでは、サン・ピエトロ大聖堂のピエタ・出世作(21〜23歳)、モーゼ 創世記・最後の審判。
フィレンツェでは、それこそ沢山のミケランジェロが〜〜〜ダビデ、メジチ家の礼拝堂、
ドーモの博物館、アカデミア美術館、カーサ・ブォナッローティ(ミケランジェロの家)・・・
挙げきれないほどの、タカラの山です。
言われるように、街自体が宝石箱のようでした。
そして、わたしは ミケランジェロが使ったと言われる大理石の山、カッラーラまで訪ねてしまった。

ミラノ。スフォルツェスコ城に、「ロンダニーニのピエタ」は、あった。
  余談:イタリアは、北へ行くほど治安がいいようです。
  ミラノはそれに加えて、無料の市立施設が多い。

わたしの師匠の師匠であるマリーニ大先生美術館、
カステル・スフォルツェスコ美術館(ロンダニーニのピエタがある)も、無料。
(ちなみに、フィレンツェのマリーニ美術館は有料)
お陰で何度も通った。 ベニスからミラノへ。
ミラノからアテネへ。 アテネからまたミラノへ。
そのつど 何度も訪れてしまった。
センスが良いものが多く、安い。  
田中康夫でなくても、買い物に行きたくなる街です。
 


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