早川 正洋  2003年6月6日  ミケランジェロ 2 ロンダニーニのピエタ  P.02

さて 「ロンダニーニのピエタ」のことですが、
学生のころ、図版でしか見たことが無かったのに、強く惹きつけられるものを感じていました。
ダビデ、モーゼ、サン・ピエトロ大聖堂のピエタ、メジチ家のジュリアーノ 像「昼」「夜」、

ロレンツォ像「暁」「黄昏」などなど、 素晴らしい作品のあまたある中で 
なぜ「ロンダニーニのピエタ」に、ことさらドキドキするのか? 
なぜ、何度もその場に行きたくなったり、居たくなるのか?


(これは もちろんロンダニーニのピエタの写真です。
パソコン初心者のかなしさ リカヴァリの失敗で 全ての記録を失いました。
ようやく FINALDATAフォトリカヴァリで取り戻せた
数少ない内の1枚です。 以後の写真も「復元」できたものです。 )

ミケランジェロは言うまでもなく人類史上の大天才です。
デッサン力、表現力は、とんでもないものです。
うまいというだけではないのです。
品格が あるこということは重要なことです。

たぶん、囚われ人を彫っているときの言葉だと思うのだけれど・・・・・・
「わたしは、ただ、そこにいる人を、救い出しているだけです」
うろ憶えで、場所も言い回しも違うかもしれません。
・・・・・・・・「ただそこにあるものを、取り出すだけ。」

ミケランジェロは皆さんご存知だとおもうけれど、彫り始めたときに、もう完成が見えています。
彫った先から、磨きが かかっています。
わたしはもちろん、ほとんどの人は当たり前に、行ったり来たり、迷いつつ彫り進めます。

この写真で言えば、中央手前の腕は磨かれています。
そして、「置き去り」にされています。                               
マリア様の頭のところに、「まだ 残っている」以前のマリア様の顔が あります。 
彫りなおしで、次のイエスが磨かれて「完成」を顕わしつつあり、前の磨かれた腕は
残されたままです。
取り掛かってから15年間。
しかし未完のままで、ミケランジェロは亡くなってしまったのです。
後から来た我々には判らないのですが、きわめて普通の「人間」のように迷いたぶん悩み、
彫りかえすことを選んだのです。
わたしには、ミケランジェロは迷うことで「普通」の「人間」になったと感じられるのです。
初めてミケランジェロは迷ったのではないでしょうか?
彫刻にはモデリング(粘土などを足していく)とカービング(木や石を削っていく)が有ります。
カッラーラ山の大理石を彫るわけですから、当然、最初の 大きさから何まわりか小さくなります。 
しかし、ミケランジェロは彫り始めから見えていました。
新しい太モモも、次の段階の中で 磨かれています。
ミケランジェロの悩みの痕跡から ミケランジェロのこころの軌跡を見て、わたしは魅了される
こんな言い回しでは、なにもお伝えできないようにおもうのですが・・・・・・。


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