早川さん
> 旧聞 [ 糸車の聖母 ] 1501年 油絵
報道に依る写真を見た限りでは どうも 贋作にしか思えない。
> どなたか どんな些細なことでも ご存知のことがあれば...
ちづるです。
>おさな児 も、見比べてみて下さい。
『岩窟の聖母』の右端のおさな児がちょうど、、横顔をみせています。
この横顔がイタリアの子供の顔だし、ルネッサンスのイタリアのエンジェルの顔だと思います。
特徴は、眉間の少し下、目と目の間の少し低い鼻の部分より、上あごと口の位置が、前にでているのが
イタリアの赤ちゃんや幼児の横顔の特徴だと思います。
イタリア人の幼児をモデルとしたなら、この絵のようにこの特徴をもち、したがって、
頬はその骨格にそって、ふっくらしているはずです。
『糸車の聖母のおさな児』は横顔ではないので、はっきりしてませんが、これはイタリアの子供の特徴を
備えては いないと思います。
しいていえば、バロックのフランス人の児か、アメリカの子供の顔に似ていると思いました。
上あご、口の部分が、両目の間の鼻の高さとほぼ同じで、ほっぺは肉だけでふくらんでいるようにみえます。
フランスとイタリアの国境の駅『ヴェントゥーラ』は駅の半分がフランスで、南の半分がイタリア領と
分かれているため、駅員はフランス人とイタリア人。それぞれが集団になると、はっきりと顔の違いが
あらわれてきます。
フランス人は漫画にもあるように曲線で書く顔だし、イタリア人の顔は
直線をすー、すーとつなげて、交わったところに曲線をたすような、そんな違いがありました。
赤ちゃんにしても、イタリアの赤ちゃんはなにか、老人の知恵でも持っているような、
人生の悲哀を もう赤ん坊の時から知っているような顔をしてませんか?
岩窟の聖母の幼子にはそういうものがあると思いますが、糸車の聖母のおさな児はただかわいいだけなので、
イタリアの児ではないと思いました。
骨格といえば、ダヴィンチの絵は科学者の視点というか、レントゲンをあてたように骨格の存在がはっきりと
描きこまれているとおもいます。
ミラノのカステッロでダヴィンチのスケッチ展を見ましたが、見終わった時はもう、立ち上がれませんでした。
リアリズムでないと納得できない!オブラートはいや!と思っていた頃でありながら、体を解剖し、スケッチし、
筋肉をスケッチし、それでも足りず、内蔵までもスケッチし 骨もスケッチして、水の流れを人工的につくって、
そこへ板や、石をおいて、水の流れがどう変わるかスケッチして、ここまでするのか、と体じゅうから、
力がなくなってしまった経験がありました。自分の甘さにうちのめされたのです。
かれは、科学する人だったんだと思いました。
彫刻家から、デッサンを学んでいた、画家の友人も、常に骨を意識してたし、
あの科学者でもあるダヴィンチが、骨も描かないはずはない。ところが、糸車の聖母のおさな児の絵には、
骨が見えないのです。特にマリア様と、幼子の頭蓋骨は、肉をとおりこして見ることができません。
ということで、私はこの絵をダヴィンチが描いたものとは想像したくもありません。
私の素人考えなんて、ご参考にはならないと思いますが、大好きなダヴィンチなので、あえて、
感じたことを稚拙な考えながら、率直に述べさせていただきました。
ちづる
若井ちづるさん「糸車の聖母」 2003 09 15 糸車の聖母・写真差し替え後
若井ちづるさん「糸車の聖母」mail 2003 9 17 着信
From: 若井 千鶴 [mailto:ushealthin@ .jp] Sent: Wednesday, September 17, 2003 6:30 AM
To: 早川 正洋 Subject: RE: 「糸車の聖母」 追伸
「糸車の聖母」の一連の私のメイルに関しての反省:
レオナルド ダ ヴィンチの、絵の形として、勝手なことを申
し上げてきましたが、全体の印象に関しては、素人の自分が言
うべきではないと差し控えておりました。
ところが、「骨」について書いたりしましたので、キリスト教
の方々からするとなにか、宗教を軽んじるような印象を受けら
れるのではないかと気になり始めました。
そこで全体的な印象も、付け加えさせていただきます。
ダヴィンチの絵には、マリア様の何事も受け入れてくださる永
遠の万人にむけられた母性、幼子のイエス様の、救いの道を暗
示する、哀れみ深いお顔も、描きこまれていて、敬虔な気持ち
にさせられたこともお伝えいたしたいと思います。
ちづる
|
|