でとう」と祝福された。洗礼とは、神の子の一人に加えていただくことだから、当然なのかもしれない。洗礼は、弱虫の古い私を捨て、永遠の新しい命を与えられた強い私に生まれ変わる、復活の儀式でもあるという。この年齢になって、新しい人間に生まれ変われるというのは、うれしいことだ。
主イエスが十字架上で経験された苦しみに比べたら、私の病気など、苦しみのうちに入らないし、どんなときも傍らにいてくださると思うとき、じたばたせず素直に病いを受け入れようという気持ちになってくる。
「汝の信仰、汝を救えり」
いつしか、私は不安恐怖症から解放されていた。 |
《付記》昨年と同じ病気で入院しているベッドの上で、締め切り期限を気にしながら一日に一、二枚ずつ清書をしていたら、都立工業専門学校の国語の入試問題に、『母第二集』に載った「傘」が、採用された旨通知があった。 |