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■今回、山梨県は南巨摩郡の中込三弥子さんのお宅に、藤田夫妻、山岸夫妻とインタビューに出かけました。中込さんの赴任した小学校では、全校を挙げてブラスバンドに取り組んでおり、中込さん自身もすっかりそれにはまっているこのことで、うらやましい限りです。今の小学生は体格も大きく、肺活量もあるのでしょう。また、学校や町も音楽に理解があるのでしょう。高価な楽器も揃っています。
 私は中学時代ブラスバンドに夢中でした。わが立高に入学した40年前、ブラスバンドがなかったので、岡田(泰亮)君と当時の真田校長に談判に行きました。しかし校長は、ブラスバンドは不良対策として各高校で行っているもので、うちのような学校には必要がない、と断られました。音楽に対する感性の違いかとがっかりしたことを今でも覚えています。まさに隔世の感ありです。(藤沢則昭)
■相変わらず楽しい泰山木です。いったい何が? 是非、皆さん、この楽しさの素を味わいに来てください。(松本節子)
■成瀬君の追悼文を書いてくれる人を探して2年目、やっと高橋正道君にお願いできた。
 思い出してみると、ぴかぴかの一年生のとき成瀬君と私とは同じ1Hであった。いつも線の入ったズボンに、よく手入れされた革靴を履いていた。髪は慎太郎刈で、一見ちょっと怖いなという感じと都会的な雰囲気を持っていた。新学期の初めの頃だと思うけど、どのような話題から転じたか憶えていないが、成瀬君が「俺の出身中学では、一番できるグループが教育大駒場、二番目が都立西、三番目が立高だよ。・・・俺なんか教育大駒場を落ちちゃったもんなあ。」と言った。「え!成瀬君も教育大駒場を
受験したの・・・。実は、俺も受けた。ぜんぜん歯が立たなかったけれどね。」と私が言い、その他にも周りに居た同級生の中から「うん、俺も受けたけどだめだった。」という声が幾つも上がったのを憶えている。
 それから、3年で再び同じH組になった時も、いろいろ話をする機会はあった。話の内容は憶えていないけど、話をしていて常に外見に似合わずとても気持ちの優しい都会っ子であったという印象を持っている。・・・もう一度会いたかった。合掌。(山岸忠雄)
■この度突然「お仕事拝見」のテープ起こしを依頼され、初めての経験故に迷った挙句、思い切って引き受けました。テープ起こしは、慣れないことでもあり、想像以上に大変な作業でした。英語のhearingならいざ知らず?日本語なのにはっきり聴き取れないのには参りました。ただ何度も何度も聴き返しながらの作業のため、インタビュー当日のことがあれこれ思い出され、1人でニヤニヤ、とても楽しい作業でもありました。
 立高時代には全く面識のなかった清水貴さん、丹羽豊さんとも、昔からの友人という感じですっと会話に溶け込めたのも、とても嬉しい驚きでした。
 今回の経験は貴重でした。毎回編集に携わっておられる方々のご苦労の一端を垣間見ることができましたし、同期のお仲間との触れ合いの楽しさも実感できました。(インタビュー当日に立ち会っただけで、編集後記を書く資格などない私ですが、なぜか・・・本当の編集委員の皆様、ごめんなさい。)(田中蓉子)
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