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三木美保子(新田)



サンパウロ中心にある大教会
 ちょうど1歳になった長女を抱きかかえ、初めてブラジル・サンパウロの地を踏んだのが1975年。途中家族に新たなメンバーも迎えつつ、私たちのブラジル生活は11年に及びました。日本に戻って3年余り経過した頃、よほど彼の地に縁があるのか、私たちは再び家族そろってブラジルへ。2度目の滞在を5年余り楽しんだ後、日本で仕事をする今も年に一度はサンパウロを訪れています。
 ブラジルと共に歩んできた家族史ですから、この異国の地は家族メンバーそれぞれに影響を与えてきました。しかし受けた影響の形や量は、滞在したときの年齢や、環境との関わりの濃淡により様々。私自身についていえば、1度目の滞在はただただ二人の娘達の育児に追われ、ブラジルの風を感じるゆとりを持てませんでした。日本人駐在員同士の社会の中で、日本にいるのと変わらない生活を送っていたように思います。
 それでも生活のあちこちで、ブラジル人の寛容さを感じる場面に出合えました。彼らは、拙いポルトガル語にも耳を傾けてくれ、生活習慣の違いも日本の個性として面白がって受け入れてくれる、また他国(人)の良さに気付いたら言葉に出して褒めてくれました。こうした人々の寛容さがあって、ブラジルは外国人にも住みやすい国になっています。反面、彼らの寛容さは、他人に対しても寛容さを求めるもの。規則にルーズ、時間にルーズ、そんな甘えを笑って受け入れられるか。これがブラジルの猛烈なファンになれるかどうかの決め手のようです。私も含めて家族は皆、彼らの欠点を知りつつも、大きくプラス評価を下して一度目の帰国となりました。ですから二度目の赴任の話が出たときには家族全員大喜びでした。すでに高校に入学して半年過ごしていた長女も、家族みんなでの引っ越しに諸手をあげて賛成。私たちは故郷に帰る気持ちで出かけていきました。
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