pre index next

 一度目のブラジル滞在に多少の心残りを感じていた私でしたので、こうして得た二度目の渡伯の機会には小さな目標を心に決めました、「今度は日本人の狭い社会だけに埋もれることなく、私なりにブラジルに出来る恩返しをしよう」。私たち日本人はブラジル、特にサンパウロで温かく受け入れられていますが、その理由の一つは、日本から当地に渡った 万人の方たちとその子孫を含めて現在130万人ともいわれる日系人に対する高い評価にあります。
 一般のブラジル人は彼ら日系人をジャポネス・ガランチード(Guaranteed Japaneseぐらいの意味)と呼び、その誠実さ、几帳面さ、勤勉さに対する敬意を示します。その日系の方々は第二の祖国ブラジルのために様々な奉仕活動を展開されていますが、私は二度目のサンパウロで幸いにも、日系人を中心とした療育音楽(ミュージックセラピー)のボランティアグループに参加することができました。そのボランティアグループは、肢体不自由児の学校、老人ホーム、軽度の精神薄弱成人のための施設など、合わせて5カ所ほどの施設を毎週定期的に訪問していました。施設の子供やご老人たちにリズム楽器による合奏の指導をすることで、心身双方の活発化を
促していくことを目標としています。指導する相手一人一人のそばについて、手を取って一緒に楽器を演奏できるよう、指揮者も合わせて総勢7〜8人が一つのグループとなっての活動です。
 私が参加していたのは、これら施設を訪問する実践グループでしたが、ボランティアの活動にとって、資金の確保も難しくかつ大切な仕事で、これらの資金集めの活動を行う評議会が実践グループとは別にあります。ブラジルの福祉施設がほとんどすべてそうであるように、私たちの活動に対しても公的機関の援助は全く期待できず、すべてを一般の人々の善意に頼っています。
 資金集めには、企業回りをしての寄付集め、バザーの開催、またブラジル独特のリッファなどがあります。リッファとは、企業から電化製品、車、日本行きの航空券などを寄付してもらい、それらを賞品とする宝くじのことです。この評議会の方達もまた全くの無給ボランティアです。評議会のメンバーには、銀行を定年退職された方、現役の商店経営者、小学校の先生など様々な方々がおられ、皆さん月に一度の評議会になんとか時間をやりくりして出てこられていました。
pre index next