思われるが、もしやこの場所は、「油堀」という可能性もあるのではなかろうか』という趣旨の手紙を婉曲かつ丁重にしたためたのち、当時小生の単身赴任地香港から、一刻も早く、とFed xに託してお送りしたのでした。
ところが、一週間、一月経っても、なしのつぶてです。あれほど、純度高く、端正で気品にあふれた文体で、市井に暮らす人々の哀歓や、つつましく、献身的に生きる女性を造型する著者が、読者の真摯な疑問に正面から向合わない筈がなく、これは何か不測の事態が起きているに違いない、と暗い予感をおぼえました。
そんなある日のこと、所用で東京に出張し、小生が当時奉職していた銀行の気の合う同期生と、一晩一献かたむけつつ、「ちょっと、変なのだけどさ、・・・」とさらっと事情をご披露したところ、わが同期は突然凍ったのでした。「おまえ、それまずいぞ。断然まずい。藤沢先生は、わが銀行の大切なお客様で |
此間も大泉学園の自宅までお邪魔して来た。そういえばあの時、奥様が出てこられ、いつもと違って冷たい対応のような気がしたなあ。どうしよう。まずいなあ」など、直ちに全面リスク回避モード突入の雰囲気です。
「そうかなあ。そんな事で、怒るような人には思えないけどなあ」とこちらも、いつか、ぼやき節。はなはだ意気あがらぬ一夜とはなりました。
その年も暮れ、平成9年の早春の朝、同時代の時代小説の名手の訃報が、突然メディアに報じられました。その時の小生の衝撃は、『ああ、これで私は、藤沢周平ワールドの、けなげで、献身的で、心やさしくも麗しい女性達に出会うことはもう出来ないのだ』、というなんとも不謹慎かつひどく身勝手な感情でみたされ、次に、『ああやはりそうだったのだ。あんな事で怒るような方ではなかったのだ』、という安堵感につつまれたような思いがありました。
でも、藤沢作品の愛好者なら、きっとみんなそうですよね。なぜって、家庭に疲労し、リストラに戸惑い悩む中年ビジネスマンで、スーパーキャリアウーマンにして心うつくしく魅惑の江戸嗅足組頭『佐知』に、単身赴任先でぜひとも巡り合いたいと思わないオジサンはいないでしょうから。(用心棒日月抄シリーズT〜W)
もっとも、青江又八郎ほど、度胸と、腕に覚えのないところが玉に傷か。(この項完) |