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 主人公の歩みをなぞる時、私は、いつも、『江戸切絵図』(尾張屋清七版)と『東京都 23区道路(シティマップル)』を横におきながら歩きます。そうすると、いろいろな事が見えてきます。
 たとえば、本所、深川の町並みは、寺、運河、橋、運河を埋めて造った道、大名下屋敷跡などから、おどろくほどに、江戸の街並みを連想する事ができるのです。とは言いつつ、これですと、なかなか時間がかかるのも確かな事でした。
 しかし、私同様の悩みやニーズを抱える人は相当にいるようで、なんと7〜8年前に、江戸切絵図と東京区分地図を、ランドマークをベースに、コンピュータ・グラフィックを活用し、これを重ねあわせてしまうという快挙を成し遂げた人が現れました。
 これ以降、時代小説の書き手は、ずいぶんと、楽が出来るようになったのでは、と私はひそかに思っています。事実、私の読書のスピードはおかげさまで、飛躍的な進歩をとげる事となりました。
 というわけで、『江戸情報地図』をたぐりつつ読みすすんでいるうちに、なんとなく、腑に落ちないような感覚にぼんやりと囚われたのです。正体は、もう一度読み直す途中から、はっきりしてきました。それは、『・・・黒江町から仙台堀を渡って、平野町、寺町通りの方・・・』の部分で、前後、左右を考えれば、これは、【仙台堀】ではなく、【油堀】ではないか、というものです。
 疑問は次第に確信に近づいてきました。その時の小生の気持ちを正直に言えば、『みつけたもんね』という感覚、または少し古いけれど、阪神タイガースの往年の名遊撃手吉田義男の鮮やかなトンネルを目の当たりにして、『見たもんね』、とでも言うべき心象でありました。
 しかし、次に私を襲ったのは、『これは、まずい。一刻も早く、著者に知らせなくては』という、まことにまっすぐな、愛読者の心情でありました。
 というわけで、私は、藤沢周平氏宛に、『これはきっと何かの間違いにちがいないと
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