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 松任市が知られるようになるのは、室町時代頃からで、加賀地方は一向宗の信者の力が強く、ついに、一向一揆の蜂起となって長享2年(1488年)ときの加賀国守護富樫政親を滅ぼし、尾山御坊を本拠とする政教混合の支配体制が一世紀続きました。結束の強さの名残は、農家の集落の形成の仕方で、30〜40戸が団子状に一つの集落を成し、その地名にはよく「島」が付けられ、「与九朗島」「山島」等、陸上の島の観があります。
 この地方に住み着いてからすでに18年が過ぎました。時折、北海道出身の家内が、「私たちはこのままここに骨を埋めるのかしらね」とつぶやきます。住めば都で、米も水もうまいし、新鮮な魚も豊富で、泉質の違う温泉が至るところに湧き出し、骨休めにと出かけております。長男と長女が、これまた何を好んでか、私と同じ道をみずから選び、神学校に学び、長男は福井市に、長女は牧師に嫁いで藤沢市でキリスト教会の活動をしております。もし12年から13年が一つの人生の周期であるとすれば、さしずめ第五期目に入ったところで、65歳まで老
骨に鞭打って、聴いてくれる聴衆がいる限り下手でも聖書の説教を毎週毎週続けて行こうと考えております。元旦の礼拝に開いて語らされたのは聖書開口一番の創世記第一章でした。「初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。そのとき、神が、『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた。」
 56年の半生を振り返るときに、まさにケオス混沌であった。それはまた神の創造の一つの場でもあったと受けとめている。原初において万物を区分しては充当する創造の業を成された神が、わたしごとき者にも介入されて空しく短い人生を充実させてくれているのだと感慨深く思う昨今であります。
 日曜日毎に礼拝を司ることが求められる立場上、どうしても同窓会に出席する機会に接しえず、それだけが残念でならないのですが、北陸方面にもしや来訪される機会あれば、ご一報いただければ幸いであります。取り留めない話もこの辺で失礼します。  (松任市みずほ町の自宅にて。2002年1月8日)
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