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 以来20年山の中で有機農業をなりわいとして来ました。バブルの崩壊後、大地を守る会によらず市民意識と一般農家意識が変わり有機農業では食べていける筈がない、から有機農業はオイシイになり、猫も杓子も有機農家状態が到来しました。(国が有機栽培を認めて以来特に顕著になった)。虫食いが無農薬の証し、から他の「有機農家」は「虫食い作物」を出さない、になってきた。悶々とした数年間を過ごして廃業の憂き目を選んでしまった。「三年寝太郎」状態でほんとに丸三年、本と酒(純米酒)の日々だった。娘の「イタリアは良いよ」の言葉に後押しされた形で旅にでようと、決めた。奈良・京都も旅のポイントと決めていた。まずポルトガル、スペインに1ヶ月強、京都に2ヶ月、その後100日ほどスペイン―ポルトガル―スペイン―ローマ―アテネ―エーゲ海―ローマ―フィレンツェ―カラーラ―ミラノ―アテネ―トルコ―ミラノ―京都……マドリッドには長居をして語学校に入ってスペイン語を学んだ。襲われたのは二度ともマドリッドでした。
 今は片桐充さん(中尾ハジメの名前で精華の学長)の援助で京都西陣に住んでいる。旅の途上にいるようです。もう2年になります。旅の空で3年をすぎました。当初アトリエを開けば……場所さえ有れば……ドンドン彫刻を作れると、考えていたのですが……アニハカランヤ全然駄目です。この歳になって何を甘えて、とは思うのですが……。歳なのか……エネルギーのボルテージが下がりっぱなしです。というような状態で、今は「友」も迎える気になれないでいます。この陰々が一過性のものであれば……と思います。
ジプシーの踊り子のパフォーマンス
ロバにまたがってスペインを歩く
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