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木村 富美子
泰山木の花(三浦先生撮影・提供)

一 泰山木
 立高の正面玄関前の池の側に、泰山木の大樹があった。高校入試の半年前に、長い入院生活を終えたばかりの私は、入学後も体育の時間は必ず見学だった。日差しを避けるため、いつもヒマラヤ杉かこの泰山木の下に佇んで、級友たちが運動する様子を眺めていた。健康なみんなが羨ましかった。そんな私を慰めてくれるかのように、六月のころになると、頭上から漂って来る泰山木の花の芳香が、優しく体を包んでくれた。見上げても、泰山木の厚い葉陰から白い花が咲いているらしいのがうかがえるだけで、木が高いので花がよく見えなかった。
 私が入っていた文芸部のノートに、「早く二、三年生になって、教室から泰山木の花を見たい」と書いたことがある。一年の教室は一階で、特に私のクラスの教室は、東の隅っこにあったから。二年生が二階、三年生が三階と記憶している。
 ある日、お昼休みに部室に行くと、三年のSさんが、「ちょっと来て。泰山木のよく見える所に案内してあげよう」と言ってくれた。Sさんは私が秘かにあこがれている先輩だったので、胸をときめかせながら付いて行った。廊下を歩きながら、「いつから俳句をやっているの? 上手だね」と褒めてくれた。私が部室のノートに書いていた雑文や俳句を、読んでくれていたのだ。うれしかったが、恥ずかしくもあった。
 Sさんが連れて行ってくれたのは、校舎の屋上だった。三階建ての校舎の屋上からは、大樹の泰山木も見下ろすことになる。空に向かって咲く幾つもの二十センチ程もある大きな純白の花を初めて目の当たりにして、私は思わず歓声を上げた。芳香は屋上にもかすかに薫ってきた。梅雨晴れの青く澄みわたった空の下の真っ白い花の美しさに見とれていたら、午後の授業開始のチャイムが鳴った。「午後の授業はないから、ちょっと部室に寄って帰る。じゃあ」Sさんは軽く片手を上げた。放課後、急いで部室に行ったが、やはりSさんはいなくて、ノートに「少女」という詩が残されていた。泰山木の花の白と少女の肌の白、泰山木の花の香と少女の石けんの匂いなどを対比させて詩った自由詩だった。この少女を私だと勝手に思い込んで、自分のノートに書き写し、そらんじるほど読み返したものだが、今はもう思い出せない。
 私は病気で中学を休学しているうちに、三つ違いの妹と同学年になってしまった。病気になる前から、教育大付属か立高を目指していた。妹も立高が希望。受験の半年前まで入院していた私に付属は無理だった。立高になると妹と一緒になる。私が別の高校に行くべきか悩んでいたら、中学の先生方に、「姉妹そろって同じ高校を受験なんて名誉じゃないか」と励まされ、妹も、「わたしは一緒でも平気よ」と言ってくれて、姉妹が立高の同期生になった。だが、私の中には常に年齢に対するこだわりがあった。コンプレックスがあった。大人になってからの二、三歳の差など問題にもならないが、高校時代の三つは大きな違いに感じられた。自分から進んで打ち明けたことはないのに、同じ学年に妹がいることはすぐ知れわたった。だが、自分たちより年上なのに、同学年の友人たちは変わりなく接してくれたし、文芸部の二、三年生も私を後輩として扱ってくれた。こだわって絶えず意識していたのは、私だけで、私があこがれ淡い恋心を抱いているSさんも、本当は私より一つ年下なのだと思うと悲しかった。
 あるとき、部室にSさんと二人きりだったことがある。病気で休学中に、次々と同級生が卒業していったときの寂しさや、妹にまで追い抜かれるのではないかという焦りを感じながら、病院のベッドの上でたった一人で勉強したことなど聞いてもらった。すると、「実は、ぼくも中学のとき病気のため一年留年しているんだ。だから、きみの気持ちはよく分かるよ。妹さんとの関係もあるし、大変だったね。でも、年齢のことなんか忘れて、高校生活を楽しんだ方がいいよ」と、予想もしなかったことを話してくれた。同い年でうれしい、と思いながら、Sさんの励ましの言葉を聞いた。「また屋上に泰山木を見に行こうか」突然Sさんが言った。雨にさらされて、花は白さを増しているように見えた。芳香も強く立ち上ってきた。「立高のこの泰山木は、一生忘れない花になるんだろうね」「わたしも好きな花の一つになったわ」
 泰山木の向こうに目をやると、雨上がりの校庭を、運動部員の人たちが、大きな掛け声を出しながら走っていた。
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