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二 金木犀
 九月の末から十月の始めになると、どこからともなく金木犀の香りが漂って来る。すると決まって「立高祭」を思い出す。卒業してから四十年近く、それは連想ゲームのように続いている。金木犀は、突然湧いたようにつぼみをつけ、一斉に咲いたと思うと数日で散って、地面をオレンジ色のじゅうたんを敷いたようにしてしまう。日ごろ高校時代のことなど忘れて暮らしているのに、この一瞬だけ、毎年、高校生活を懐かしく思い出すのである。
 立高祭の準備でうす暗くなりかけた帰り道、どこからともなく金木犀の良い香りが漂って来た。各文化部の展示発表、講堂でのコンサートや演劇コンクール、カレーやコーヒーショップなど、自由な校風の楽しさを改めて実感したのが、立高祭だった。一年生のときなど、上級生がすごく立派に見えたし、同級生にもすばらしい才能を持った人たちがいて、自立した積極的な行動に、私の年齢に対するわだかまりが、また少し小さくなった行事でもあった。
 あれは一年の体育祭のことだ。競技に出場することは適わなかったが、趣向を凝らした看板の前での応援合戦には、声が嗄れるほど仲間入りが出来た。体育祭が終わって、看板などを燃やすファイヤーストームが始まるころ、雨が降り出した。火を囲んでのフォークダンスは出来なくなり、体育館に変更になってしまった。広い体育館も多くの人でごった返し、踊りの輪に加われずに、壁際に立って見ていたら、急に私の手を引っぱる人がいた。Sさんだ。「踊ろう。フォークダンスぐらいなら、やっても大丈夫でしょ?」「オクラホマミキサー」か「茶色の小瓶」か曲は思い出せないが、私にとってフォークダンスは、生まれて初めての経験だった。輪に入ったと思ったら、すぐにパートナーが代わってしまい、人込みの中にSさんを見失った。ステップもよく分からないし疲れたので、輪から抜け出て再び壁にもたれていたら、
「人が多すぎるね。もう帰ろうか」
と、Sさんが汗を拭きながら近づいてきた。外に出ると、冷たい雨が心地よかった。私が持っていた小さな傘を差しかけると、
「ぼくはいいから、濡れないように」
と、気づかってくれた。
「今日は疲れたでしょう」
「ええ。声が嗄れているでしょう? 応援合戦やファイヤーストーム、フォークダンスなど、初めての経験を沢山して、まだ興奮しているわ」
「楽しくてよかったね。でも、祭りの後って、何か寂しいねえ。特にぼくら三年は、これで立高生活が終わったようなものだから……。これからは、受験勉強に集中しなけりゃ……」
「受験、がんばってくださいね」
「ありがとう。勉強に疲れたら、部室に顔を出すよ」
 涙がこぼれそうになって、慌てて差している傘を傾けた。小雨の降る暗がりから、金木犀の香りが漂って来た。
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