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草野 俊蔵
ブカレストで(ペトリナさんと)

1 はじめに
 1991年9月から1996年始めまで、三井物産潟uカレスト事務所に駐在し家族と共にルーマニアの首都ブカレストに約4年半滞在しました。その間に私達家族は印象深い数々の体験を致しました。次男は中学時代を、三男は小学校二年生から卒業まで現地にいましたので、その時の体験は彼等の一生に大きな影響を与えたと思います。この滞在紀は特に印象深い体験をまとめたものです。

 私達家族がいた当時の現地の事情を間単に述べますと、1991年はバルト三国がソ連から離脱し、ゴルバチョフのペレストロイカにもかかわらずソ連の一大帝国が崩壊し、エリツィンの率いるロシア共和国誕生を始めとして旧ソ連が解体された年です。又、この年は悪名高き民族浄化という名の下にユーゴの内戦が勃発し泥沼の内戦が始まった年でもあります。この二つの世界的な大事件は旧東欧諸国でありバルカンの一員であるルーマニアにも大きな影響を与えました。
 1989年にベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統合しました。続いてチェコ・ハンガリー・ブルガリア・ルーマニアといった旧東欧諸国は共産党一党独裁制を放棄し自由経済体制に移行しました。特にルーマニアでは独裁政治で悪名の高かったチャウシェスクが処刑され、東欧革命で唯一の流血革命になりました。まだ現地に着いて一月も経たない時に、妻から会社に「あなた大変、家の外で戦争が起きている!」との電話がありました。「何を冗談を言っているのだ」と電話を切って、たまたまあるお客と食事の約束があったのでレストランに出かけました。食事中ボーイがやたらにビールをすすめ、早く飲んでビンを早く空けろと催促します。空のビンをそそくさと持って何やら液体を詰め直しているので何をやっているのかと外を見るとさっき私が飲んでいたビール瓶は火炎瓶と化して警官隊に投げ込まれており、街はさながら市街戦の様相を呈しておりました。結局私は2日間ホテルに缶詰状態になりました。この暴動は炭鉱労働者によって引き起こされたのですが、裏では旧共産党勢力が挽回を計るために画策した騒乱でした。
 この時期は東欧革命やソ連崩壊があったとはいえ、未だにノーメンクラツーラ(特権官僚階級)が社会や政治に力を持っている時代で、ルーマニアでも共産党の幹部だったイリエスクが、死人に口なし、悪いことはすべてチャウシェスクのせいにして、自由主義者の仮面を被って今でも大統領をしています。このような時代に私達家族がどのように過ごしたのかをご紹介したいと思います。
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