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2 ルーマニア人
 ルーマニアン(ローマ人)は読んで字の如くローマ帝国の末裔の人達です。ルーマニア語はロシア語やトルコ語の影響は多少ありますが基本的にラテン語です。従ってイタリア語に非常に似ております。ルーマニアの田舎のお婆さんがローマに観光に行って、ここは随分訛りの強いルーマニア語を話すね、といったジョークがあるくらいイタリア語に似ております。紀元1世紀頃に当時トラキア地方(黒海からドナウ川沿い地帯)のダチア王国(「ダキア」とも呼ぶ)とローマ帝国との間に激しい戦争があってこの一帯はローマに征服され、今のルーマニア人の祖先が住み着いたと言われています。ローマにあるトラヤヌス帝の記念柱には当時のダチア戦争の模様が詳しく書かれています。ところでローマ帝国時代奴隷の反乱で有名なスパルタカスはトラキア地方の出身でした。
 18世紀まで、このような偉大な歴史があったことをルーマニアの人達は自覚していませんでした。ローマに留学した聖職者達は数々の遺跡から自分たちの偉大なる過去を初めて知り民族意識に目覚めました。最初に始めたのはルーマニア語をキリル文字(ロシア・アルファベット)からラテン文字に切り替えることでした。ギリシャ独立やクリミア戦争等を経て、ルーマニアという国が建国されたのはようやく19世紀の半ばでした。それまではワラキア・モルドヴァ・トランシルバニアという3つの公国に分かれており、ワラキアとモルドヴァはオスマント
ルコの支配下に、トランシルバニアはオーストリア・ハンガリー帝国の支配下に置かれていました。トランシルバニアは吸血鬼ドラキュラの舞台になったところとしても有名です。三公国が統一されたのはようやく第一次大戦が終了しオスマントルコとハプスブルクの2大帝国が崩壊した後でした。
 ところでウクライナ共和国とルーマニアの間にモルドヴァ共和国があります。この国の6割はルーマニア系の住民ですが、戦前にスターリンとヒットラーの密約によりバルト三国と共にソ連に併合されました。ソ連崩壊後モルドヴァ共和国はルーマニア語を公式の言語としロシア語のアルファベット(キリル文字)をラテン文字にしましたが、ロシア系住民の反発にあい内紛が続いています。当時私は車でブカレストからモルドヴァ共和国の首都キシノまで訪問した経験があります。葡萄畑とワイン以外は何も無い国でしたが、この国はロシア共和国以外で唯一ロシア軍が駐留し今でも民族間の火種を抱えています。
 ルーマニアは旧東欧やバルカン諸国の中で唯一のラテン民族国家ですが、ラテン民族の中では唯一東方正教のキリスト教国家です。東方正教の国はロシアを始めルーマニア・ギリシャ・ブルガリア・セルビアなどがあり、旧東欧諸国でもポーランド・チェコ・ハンガリー・クロアチアなどの国はカソリックです。東方正教(オーソドクス)とカソリックとはどう違うのかと言えば、昔ローマ帝国が東西二つに分かれてローマを中心にした方がカソリック、コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)のビザンチン帝国の方が東方教会です。教義的にはマリアがキリストを右腕で抱いているのがカソリック、左腕で抱いているのがオーソドクスとか、十字の切り方が違うとかいろいろあるようですがキリスト教の専門家に一度詳しく聞いてみたいと思っております。ルーマニアは地域的にも宗教的にもラテンの孤島です。
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