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8 おわりに
 同じ職場で働いた現地スタッフ(ナショナル・スタッフ)は総勢12名いましたが中でも印象深い何人かを紹介します。以前は政府の人材派遣公団という組織があって我々外国企業は直接雇用ができませんでした。革命後直接雇用になり、従来の公団から来ていたスタッフも直接雇用にしましたが、革命後に採用した若いスタッフは自分で面接して選んだこともあり、やる気のある優秀な人が多かったと思います。その中でもニコライ・バルバラ君はブカレスト工科大学を首席で卒業したほど優秀で、私を随分仕事の上で助けてくれました。彼は今でもブカレスト事務所の中核的存在です。毎年12月になりますとスタッフ全員を夫婦同伴で我が家に招待し、妻の作る手料理で歓待してパーテイーをしました。日本の料理や習慣やカラオケを皆に紹介し、毎年我が家のクリスマス・パーテイーを楽しみにしてもらうまでになりました。昔からいるスタッフではタンツア・ドロバンツという女性がいました。名前がややこしいしロシア系だったのでターニャという愛称で呼ばれていました。公団から派遣されていたスタッフですが仕事ができる優秀な女性でもありました。自慢の優秀な一人息子をこよなく愛していました。
 私の秘書はカルメンという明るい陽気な女性で年下の少し頼りない亭主持ちで、ルーマニア語は当たり前として英語・フランス語も話せるので大変重宝しました。会社の事務所は活気にあふれ、来客も多く、英語・ルーマニア語・フランス語・ドイツ語・日本語……が飛び交い、国際色豊かなオフィスでした。私の運転手アレキサンドウルはサンドウという愛称で呼ばれていました。20年の勤務経験があり人の良い信頼できる運転手でした。ルーマニアは高速道路が無いため、人も馬車も車も一緒の道を走っています。しかもダチヤという国産車は時速80キロが限界です。社用車はベンツでしたので150キロのスピードで馬車や国産車を追い抜きますが、サンドウは曲芸みたいにスイスイと走り抜ける名運転手でした。ある時彼の運転で黒海のコンスタンツア経由でブルガリアの黒海沿岸ブルガスに行った時に私達のベンツが盗まれてしまいました。完全にプロの手口で私が商談中、外で待っていたサンドウがわずか10分ほど車から離れた隙にロックがしてあったベンツが消えていました。パスポートもお金もコートも車の中においてあったので途方にくれましたが、幸い100ドル紙幣がポケットにあったので車をチャーターして600キロ離れたソフィアに夜を徹して移動し三井物産のソフィア事務所に助けてもらいました。車窃盗団はロシア・マフィアの仕業で、盗まれたベンツを買い取らないかと後日連絡があり二重に驚愕しました。この事件のあとサンドウはすっかりしょげ返り急激に老けこんでしまいました。その後たびたび事故も起こすようになり自信喪失に陥ったようでした。私が日本に帰国して半年後に、大好きだったサンドウは亡くなりました。
 昨年はNATOの加盟ほかの一定の成果はありましたが、一人当たりの月間所得が約150ドルと極めて低く、ルーマニアは依然として経済の低迷から抜け出していません。国民生活の水準は低く市場経済への移行は苦難をきわめており、2000年の総選挙では市場経済を標榜するコンスタンチネスクが敗退し、高まる国民の不満を反映してイリエスクの率いる社民党が勝利しました。一方で民族主義を標榜する右翼政党も台頭しています。混迷からの脱出を心から願っております。
 書いても、書いても、想い出がつきません。私たちと親しくしてくれた多くのルーマニアの愛しき人々が、私達家族の心の中にいつまでも生きつづけております。
三井ブカレストの社員と
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