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この年齢になって分かった「大人の修学旅行」 

○長〜い あとがき
 今回の修学旅行は、当初こんなに大勢の参加者があるとは誰も予想していなかったと思うが、情報を遠隔地操作して発信してくださった尾崎さん、それを元に実際に会食場所等丹念に(若いお友達まで巻き込んで)下調べをして万全の準備をして迎えてくださった早川さん、その方々とまめに連絡をとりつつ皆を束ねてくださっ
た岩野さん、その他大勢の方々の陰のお力添えと、参加者全員の熱意の下に実現できたのだと実感。
 誰のネーミングだったのか今回の旅のキャッチフレーズの「大人の修学旅行」を皆さんとても気に入っていたよだったが、旅行後たまたま図書館で「京都、オトナの修学旅行」(山下裕二×赤瀬川原平著)というタイトルの本を見つけた。3年前に発行された本だったが、そのまえがきに赤瀬川氏の「いずれにしろ日本美術を見るには、オトナであることが必要だと思う。知識が必要ということではない。物に対する感覚的な経験がどうしても必要なのである。----中略---- だれでも、『京都、オトナの修学旅行』を実行してみれば、ああ子供のときの修学旅行はもったいなかった、ただぞろぞろ歩いただけで、と思うはずだ。」という文を見つけ、同感!と思った。
 旅行に先駆け、岩野さんが立高の修学旅行の時に配られた「修学旅行の栞」を書棚の奥から探し出してコピーしたものをみんなに配布してくださったが、それ一つとっても五十八歳になった現在読んでみると文章の一つ一つが心に沁みていたく感動するのに、当時は確かにその冊子をもらった記憶はあるが、中身はまるで覚えていないし、完読したという記憶もない。今考えるとなんてもったいない!とつくづく思うのだが、それが現実。他の皆さんも、私と似たり寄ったりのようだった。
 今、この年齢になって分かったこと、実感できたことが沢山あった。今回の旅行は、単に京都・奈良の修学旅行を四十年ぶりに同期生達と再度実行し楽しんだということだけではない。四十年ぶりに再会できた関西在住の懐かしい十六期の方々との新しい出会いがあり、またそこからさらに十六期の輪がどんどん広がっていく期待がもてたことが、最大の収穫であった。そう思うのは、たぶん私だけではないだろう。

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