index next
個人を偲ぶ

岩野浩二郎
 中村雍くんとは、中学、高校、そして大学とずっと いっしょだった。
 中学校は、当時越境入学者の多かった武蔵野二中で、2年生のときに同じクラスになった。僕はその越境組だったが、彼は正真正銘、地元武蔵野市の出身である。頭の回転は速くて成績はよかったし、早口で、すばしっこく、活動的だった。
 色白でデコチン、目が大きく可愛らしく、唇が赤く頬がぽっちゃりだったから、キューピーのような顔だと思った。
 同じクラスになってすぐ尋ねたものだ。きみの名前は難しくて分からんぞ、なんて読むんだい? 「あつむ、ってんだよ」とにっこり答えた。笑顔がとても明るかった。

 あつむか、あつむってどういう意味なんだろう。僕は他の友だちに、あいつの名前知ってる? あつむっていうんだぜ、などと、聞かれもしないのに得意気に吹聴したものだ。
 そんなふうに彼は、人から何かを聞かれると利発に、そして素敵な笑顔で応えていた。だがシャイなせいなのか、自分から積極的に人の輪に入るふうではなかった。なにかぶつぶつ独りごちながら、周囲をまわる印象だった。
 立高時代は、どうだったのだろう。少し地味だったような気がする。卒業アルバムをひっくり返したら、3年時にH組だったことは分かったが、ずっと男子クラスで、クラブ活動もしていなかったのではないだろうか。
 同じキャンパスにいながら、すれ違っても少し頷き合う程度で、会話は交わさず、残念なことに彼の思い出は希薄である。同じ中学からの進学者は20人以上と多かったから、却って同窓意識が薄かったのだろうか。
 そこで、この追悼文を書くにあたって、浜松の夫人に電話をさせていただいた。そして、彼が一浪して早稲田の理工学部に進学したことを初めて知った。やは

個人を偲ぶ
index next