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○新井 えーと、では、改まって、新井二郎です。ご無沙汰しています。皆さんは高尾山をよくご存知だと思いますが、その高尾山のある京王線の高尾山口駅から歩いてすぐ、ケーブルカー登山口のちょっと横にある東京都高尾自然科学博物館で、学芸員をやっています。立高時代の僕のクラスは1年がH組、2年が男女クラスのB組、3年がF組だったかな、クラブは地学部です。
●どんな立高生だったったの?
○新井 もう、てんで地味な存在で、たぶん僕のことを覚えている人はあまりいないんじゃないかな。僕は羽村生まれ、羽村中学の卒業生で、青梅線で通っていたわけだけど、中央線の連中、とくに八王子あたりから来ているグループは、僕ら青梅線グループを「青梅の山猿」といって馬鹿にしていたものね。八王子の連中にそう言われるのは心外だったけれど、中央線の上りのほう、吉祥寺界隈から来ているような連中はあか抜けていたから、やはり違うなあと認めざるをえなかったですよ。2年の時は憧れの男女クラスになったものの、文字どおり「青梅の山猿」で、女性と一緒にいるのが、とても息苦しかった。
●そんなにウブだったのかなあ・・・・で、それからどんな方向へ?
○新井 親父が教師だったこともあって、教員になろうと思って東京教育大学に進学したんです。
●今の筑波大学ですね。確か、野球部の久保田君とか水泳部の鬼頭君なんかもそうですよね。
○新井 そうそう。それで、僕は早稲田も受けたんだけれど落ちちゃって、とても悔しがっていたら、早稲田に行った大野君が、早稲田のバッチ(学章)をくれたりして・・・・
●大野君って、あのラテン音楽でがんばっている大野春樹君?
○新井 そうです。今では懐かしい思い出ですね。で、教育大ですが、今でこそ羽村は市制をしいていますが、当時は町だし、僕には都会に出たいという気持が強かったから、当時文京区大塚にあった教育大に通学し始めた頃は、胸がときめくほどでしたよ。入った学部は理学部地学科で、自然地理学の気候学を専攻しました。そして「野外研究同好会」という会に入ったんですが、この同好会がいろんな意味で僕のその後の人生に大きくかかわってきたですね。ある日、この同好会の活
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