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 そんなとき、作家の三浦綾子が亡くなった。「敬虔なクリスチャンであった三浦さんは、『病は神がくれた十字架』と、相次ぐ病魔にさえ感謝し、病弱者と苦しみを共にし、最後まで創作意欲を失わなかった」という新聞記事を読んで、私との違いに、大きな衝撃を受けた。無性に恥ずかしかった。
 三浦さんは、若い頃肺結核を患い、その後カリエスでギブスベッドに伏したまま、長い療養生活を経験した。晩年は、直腸がんやパーキンソン病も患い、満身創痍の状態でありながら、それでも次々と作品を発表していた。最後の方は、ご主人の口述筆記だったが、その声も出にくくなっていたという。
 三浦さんは、私が尊敬する作家の一人であるうえ、若い頃の病歴が同じというだけでなく、少なからぬ縁のある人でもあった。
 二年前、旭川市に、三浦綾子記念文学館が開設されたが、その資金づくりの一環として、プロの作家と、道内で公募した入選作による『母』という題のエッセー集を出版することになったらしい。その編集者が、たまたま拙著『巣立ちの季節』を読んでいて下さり、何か書いてほしい、と原稿依頼があった
。原稿用紙五枚ほどの「母の涙」という拙文が、三浦さんや一流の作家の方々と同じ本に載るという光栄な経験をしたのである。
 その出版記念パーティーに行けなかった私に、「心・三浦綾子」とサインの入った本が送られてきた。ふるえる指にペンを持って書いてくださったに違いない「心」の文字は、どんな達筆よりも美しく見え、感動した。
 このエッセー集は好評だったらしく、『母第二集』が出たが、それにも「傘」という拙文を載せていただけた。
 新聞の死亡記事を読んだとき、身内を失ったときのような大きな悲しみを味わった後、どうしたら彼女のような心持ちになれるのだろう、と改めて思った。そして、もう一度、彼女の本を読み返してみることにした。
 彼女の作品を深く理解するには、キリスト教を知る必要があった。今までも、西洋文学を読むとき、キリスト教の精神がベースになっている作品が多いので、聖書などを何度も読んだことはあったが、その度に、奇跡とか復活というところでつまずいて、
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