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それより先に進めず、投げ出していた。だが、今回はなにか引き付けられるものがあり、聖書やその解説書など手当たり次第読んでみた。遠藤周作のキリストに関する本も、本棚から引っ張り出して読んだ。
 彼もまた若い頃結核を患い、生死の境をさまよい、晩年は、糖尿病と腎臓病に苦しめられ亡くなっている。病弱だったのに、好奇心旺盛な狐狸庵先生として、ユーモアに富んだエッセーや小説も書いているし、インドやエルサレムなど健康な人でも厳しい所へ取材に行っているのだ。彼からもまた、私自身の弱さを思い知らされた。
 今までも、遠藤周作の本は、小説としての興味に重点を置いて読んでいたが、今回は、幼くしてカトリックの洗礼を受けた彼が、キリスト教を、主イエスを、私達にどのように伝えようとしているのか関心があった。
 興味ではなく関心、この変化は、私が心の支えを求めている証しであったのだろうか。何より私を喜ばせたのは、「信仰は九十九パーセントの疑いと、
一パーセントの確信である」という言葉だった。なあんだ、たった一パーセントでいいの? それならとっくに信じている。百パーセント信じられないから、踏み込めずにいたのに! 私は心の中で叫んだ。
 私より重い喘息の発作に苦しみながら、どうしてこんなに穏やかに過ごしていられるのだろう、と感じている知人のSさんが、実はクリスチャンだと知り、なるほどと思ったことがある。そのSさんに、
「私のような者でも、クリスチャンになれるのでしょうか。まだ何もわからないのですけれど、心の支えが欲しいのです」
と、電話をかけてみた。彼女は早速、ご自分が通う司祭様を、我が家にお連れしてくださり、私の、子供が問うような質問に、ひとつずつ丁寧に答えていただいた。
 「私だって、聖書の中に書いてあることを、百パーセントそのまま信じてなどいませんよ。書かれていることが事実かどうかより、象徴的に書き残そうとした真実は何なのかを考えたいと思うのです。そ
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