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 夜が明けて家の中を見廻すと、家の中の異常な家具の倒れ方にビックリ。二段になっているものはすべて上部が飛んでいた。和ダンスがベッドの足元に乗りかかって倒れている。娘のベッドの頭上には、本箱が倒れこんでいる。食器棚は前にあるテーブルを超えて頭から突っ込んでいる。冷蔵庫は扉を開いたまま野菜や牛乳を吐き出している。母を助け出した布団には飾り棚のガラスが突き刺さり、スイッチが入ったままのトランジスタラジオが地震のニュースを伝えている。ラジオまで辿り着けずに何日かして電池が切れた。ピアノはストッパーからコマが外れて部屋の中ほどまで移動している。コマのついているものは、コロコロと動いたらしく、テレビもワゴンも畳にその軌跡が。
 母屋の屋根瓦は崩れ落ち、庭は瓦の海、倒壊した門とブロック塀を取り除くまでは、散歩をしていた人や新聞配達の人が下敷きになってはいないかと気が気でなかった。三軒東の木造の家はひとたまりもなく、二階建てが屋根だけになるほどつぶれていた。駅の北側の七階建てのマンションは瓦礫の山と化している。五日後に小学生の男の子が一人だけ助
け出された。
 建物の倒壊は手抜き工事が大部分の原因だといわえている。高速道路、新幹線の高架も同様だ。近所の町並みが変わり、すべて再建されるまでは空き地ばかりだったため、少し離れた北側に通るJRの電車の音が間近に聞こえ、駅の道路が暗かった。
 何日かして最寄駅まで大阪からJRが開通し、西へ向かう人々は蟻の行列のように切れ目なしに、大きな荷物を背負って歩いていく。何かを持って行ってもらおうと家の前に立っていtが、皆、持てる限りのものを持っていて、それ以上は不可能に近い。明るいうちに目的地に到着できますようにと祈るしかなかった。
 所属しているボランティアクラブが始動したのは震災後間もなくだった。被害の少なかったメンバーは被害にあったメンバーをも助けてくれた。各国、各地からの援助物資や義援金の窓口にもなった。各自が出来る範囲で活動し、助け合ったのだが、自分が活動出来るようになるまでは、もっと大きな被害を受けた人々に手助け出来ないもどかしさで心が痛んだ。
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