したらいいかと考えたのがキャンペーンを始めたそもそものきっかけです。そこで、「今より元気に」、「今より楽しく」、「今より前向きに」生きていくには、どうしたらいいのかと考え始めたわけですね。取材の過程でいろいろな人の生き方に出会い、「なるほどこういうとらえ方をすれば生き方も変わってくる、そうした生き方をすれば高齢社会も変わってくるのではないか」とのめりこんでいった次第です。
そんな出会いのひとつ、新藤兼人さんとの出会いを紹介します。「午後の遺言状」という映画のオープニングのあと、楽屋で5分ほど話して快諾いただき、そのあとじっくり話を伺うことができたのですが、「これだな」と思ったんです。簡単にいうと、「老人はそんなに簡単なものじゃない。俺はまあ
85年間生きてきたけれども、欲望はむらむらと若いころよりむしろあるし、こんちくしょうと思う心は年々強まる。年をとったからといってそういうものがなくなるわけじゃない。脳が衰え、体が衰えてもなお、非常に大事なものが、確かなものが残っている」とはっきり言ったんですね。その中で、共感したのは彼のリアリズムですね。その次に監督された「生きたい!」という映画のなかでの三國連太郎さんが、失禁の状態をさらしながらも、欲深く生きていくというような、考えていることは薄汚くても、それを率直に認めているでしょう。 |
「生きていくことが仕事だ」という言い方をされました。「俺は生きてる限り生き抜くよ。ひたすら生き抜くよ。最終的には気持ちの良い青空を見たい」「自分を最大限に生かす方法で、自分流に、ありのままに生きたい」と言うことでした。その中で、「挫折は生きた証だ」と言うこともおっしゃいましたし、「いたわりは危ない」ともおっしゃいましたね。老人になったからこそ、何か今までになかったものが出てくる、ということですね。
■ピンピンコロリ
高齢社会で何が大事か、高齢社会をどうとらえるかというとき、今までの考え方を変えていかないとなかなか前へ進めないということがあって、いわば〈気づき〉、「あっ、これ気づいた。そういうことなんだ」が私の取材のひとつの段取りだったのですが、東京都老人総合研究所の副所長柴田博さん(現桜美林大学の教授)の話が非常に感銘深かった。年をとって寝たっきりになると、それこそグジグジと、およそ暗いイメージで死を迎える。それが従来の老化のイメージだったわけです。柴田さんによると、最近は実はそうではなくて「直角型の死」が増えているというのですね。元気が続いて、ぽっくり死ぬ、そういう率が高いと言っていました。それがこれからどうやって生きていくかにつながってくる |