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■自分たちの「老い」

司会 制度としての介護保険がまだまだ私たちの中に浸透していない、さらにまた福祉のあり方がまだまだ私たちの本当に望むあり方にはなっていない、そんな姿が浮き彫りにされたように思います。
 ところで、私たちは否が応でも遠からずそういう現実の中に踏み込んでいかなくてはならないわけで、では私たちはどう生きたらいいか。これからの生き方への展望というか、夢というか、そういうことを語っていただければいいのですが。下川君は栃木県の馬頭町に農家を買って、週末農業を行っていると聞きましたが、そのへんはいかがですか。
下川正和 そこまでいくにはやはり前史があるんです。そこをちょっとしゃべります。「お母さんおかしいから、すぐに来て」って、一回り下の妹から電話があって、とんで行くと、窓を閉ざした実家の居間に、父母と妹夫婦が座っていたんです。母がしきりに手で空をかき、「ほんとにうるさい蚊だこと」と言ったり、壁の染みに人が潜んでいると言い、蟻が足下にいつも纏わりついているとも言っていました。父親は、悄然としており、妹は、「しっかりしてよ」と泣きそうな顔で、私もショックでした。
変な素振りは、私が独立し、妹も結婚を機に家を出てしばらくしてから、始まったようでした。父親が長期海外出張した頃から隣近所におかしな言動をするようになっていったらしい。病気と確信できたので、すぐに病院に送り込んだんです。「俺が悪いんだ」と自分自身を責め、自分が鉄格子の中に入ったように連れ合いを哀れみ、恥に耐えている父の姿に、「治るんだから」と返すしかなかったですね。
 悪夢のような日でしたが、今は、薬で抑えていることもあり平静に暮らしています。教育ママであった母が、生活の目的となる対象を失ったからだと、私は結論付けました。暴走する回路の中から、私や妹を見つけると、正常な親に戻り、子を思う気遣いを見せました。頭は狂っていないし、壊れてもいない。存在目的を失い、生活に対する問題意識も失い、行くべき道筋を失った意識が、暴走し、うめきを上げている。母の姿を見て、そんなふうに思いました。世に言う恍惚の人が、突然糞を投げ、徘徊するのも、同じことではないのか、人は人を殺すことも、自分を殺すことも、封じ込めることもできる。気づかないうちに無気力の壁に囲まれ、出口の見つからない心が、悲鳴を上げているんだなと思いました。
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