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 そんなことがあって、自分自身の身に照らした時、「定年」という言葉が頭に浮かんだわけです。定年後しばらくして亡くなる人が出てくるのも奇妙なことでしたが、人は社会関係の中で初めて人たりうることを思えば、当たり前のことでしょう。定年は、社会的な死の宣告であり、会社人間ほど、素直にその宣告に従って、肉体的生命まで閉ざしてしまうんだと思います。人は働くから、対象を変化させられるから、人である、というのは、学生時代から身に付けた私の価値観で、這ってでも働くことができる環境を確保したかったんです。100坪ほど他人の土地を耕していた経験もあって、有機農業で自給自足することに、方針はすぐに決まりました。たまたま雑誌で5000坪で家付きの物件が見つかったんです。栃木の山奥ですが、見事な旧家で、気に入りました。農地が五反強ついていました。十数年打ち捨てられた土地で荒れていましたが、目的には合致していました。就農準備校に通ったりしながら認定農家になったのですが、その間に息子が交通事故で死に、裁判となったため、移住できず今に至っていますが、焦らずゆっくりやっていこうと思っています。

■「少年よ大志を抱け。この老人のように」

司会 ありがとうございました。私の母も同じような経過をたどり、今特養のベッドで「老い」を生きています。私を息子と認識してくれることもありません。悲しいことですが現実です。私の場合、そんな母の変貌に対応するのが精一杯で、下川君のようにそこから自分の「老い」を展望するに至らなかったのですが、自分の老後は自分で設計することが大切なんでしょうね。
岩野 前半の報告のなかで、大串君の「高齢者も障害者で、障害は個性だ」という話、おもしろかったし、よく理解できます。そこらをもう少し展開してくれませんか。
大串 櫻田淳さんという方の発言をある雑誌で読みまして、いたく気に入ったのが私の「気づき」の始まりです。櫻田さんは脳性小児麻痺で身体障害者手帳二級と認定されているのですが、北大、東大大学院で学び、当時衆議院議員の政策秘書をなさっていました。たまたま出会ったときに、ちょっとお酒を飲もうという話になりました。店は地下にあるんですが、なかなか降りてこない。「いやあー、降りられないんだ」と言うんですね。あー、そういうもんか、障害者は上がるときはちょっと格好悪くても上がれるだが、降りられないんだって、私は気づくんです。ビールが来ても、飲まないんですね、「いやー、ストローがないと」と言うので、近くからストローを貰ってきて、飲ましたんです。箸も使えないんで、食べさせてあげたんですが、そうまでしても出てくることが彼には意義があって、普通の生活がしたいんですね。「らしくしたくない」哲学っていうか、障害者は障害者「らしく」、高齢者は高齢者「らしく」生きるのを拒否する、彼の哲学の表れだったようです。「バリアフリー」の何たるかを彼から教わり、大いなる「気づき」があったのですが、それに加えて、北大のクラーク博士の「少年よ、大志を抱け」という有名な言葉の後には、「この老人のように」というのが本当はついているということも、彼から教わりました。高齢者をただ「支えられる人」ととらえるのではなく、いくつになっても大きな志を持って積極的に生きるべき人ととらえる、その発想は大きなヒントではないでしょうか。
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