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 泰山木の編集会議で白倉君の本を紹介することになったとき、無謀にも「僕がやろう」と手を挙げてしまったのには、こんな背景がある。しかし、片道一時間の通勤電車の中が書斎の僕にとって、しかも読書対象の大半がハードボイルド小説という僕にとって、本書の通読はいささかきつかった。そのことをまず正直に申し上げ、そのうえで、本書の概略を紹介すると以下のようだ。
 本書は二部構成――第一部「ロシア作家の西欧文化体験」、第二部「ロシア・イギリス文化交流の諸相」。第一部はカラムジン、ジュコフスキー、プーシキン、ゴーゴリという四人の作家を取り上げ、ロシア文学が西欧文学、とりわけイギリス文学をいかに受容し、ロシアにおける近代文学の成立がどのようになされたかを詳述する。
 カラムジン、ジュコフスキー、プーシキンの三人によってなされた受容の流れが、ゴーゴリにおいては、「古きロシア」、ロシア的なるものへの回帰=ロシア文化の再認識とし
て述べられているが、これなどは日本の近代文学史を思い起こしてみると構造はとらえやすいのではないだろうか。浅薄さを承知で言ってしまうが、日本近代文学史上における保田与重郎などの位置を考えて見ると、ゴーゴリの位置が見えてくる。〈近代〉と〈反近代〉というほんの一時期のめり込んだことのあるテーマを思い起して興味深かった。
 第二部は「受容」という一方向ではなく、ロシア文学とイギリス文学の「交流」という双方方向の文学運動の紹介である。僕などは、本章を、その近代化を経て世界文学として花開いたロシア文学と、一世紀遅れてロシアと同じ西欧文学受容のプロセスを歩んだ日本文学の違いを念頭において読んでしまった。日本文学における西欧文学の受容というテーマはいくつかあるだろうが、本書の白倉君の研究のような「相互交流」という視点から日本文学と西欧文学を比較研究したものは、浅学にして聞いたことがない。
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