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 5年ほど経過すると、その団体の意向で北海道は札幌市に新規の教会を開拓する課題が与えられて、北国に向かいました。札幌から更に室蘭市近くの伊達市に5年ほど教会の働きをしている時に、何と三番目の子供を出産した直後に家内が倒れ、そのまま戻らぬ人となってしまいました。見知らぬ地で、過酷な気象条件が重なったためか、いつしか疲労困憊してしまっていたようで、先立たれて乳飲み子を抱えた私は正直、途方にくれたものです。職業柄、人々の悲しみの傍らに立って慰める機会がある自分が、いざ自分の身内のこととなると、これはまたどうしたことか、内側から崩れていくような心境となり、牧師職もしばらくは離れざるを得ませんでした。これまた不思議なめぐり合わせとしか言いようがないのですが、辞める直前に再婚の話が持ち上がり、三人の幼い子供たちも養育に欠けることなく、危機を乗り切ることができました。
 しかし、それから4年間は、職を転々として定まらず、年末のお歳暮配達から始まり、幼稚園教材販売の営業職、塗装関係の工場単純労働、大手幼稚園の事務所での経理勤務、弁当屋の配達、日雇い労働、ガードマンと目まぐるしい転職の連続に明け暮
れたものです。こういう時にはどういうわけか辛いことが連鎖して起こるもので、二歳の次女の右足に腫瘍が見つかり手術をするやら、小学二年の長男が遊んでいる最中に高台から墜落して脳挫傷で緊急の脳外科手術を受けるような事態も発生。入院中の長男に仕事を一ヶ月休んで付き添ったその時ばかりは、窓から見える札幌の山並みを見渡しては溜息をついたものです。
 聖書の詩篇121篇に都上りの歌と題して、「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」とあり、いにしえのヘブルの詩人の歌が残されています。そして、その詩が現実に自分のものになるような出来事が起きたことが思い出されます。その息子の退院も近づいたある日、札幌市内の一人の牧師が来られ、ノルウェーの匿名の方が、私を指名して送金してきたのだと説明され、24万円を手渡してくださった。それは、入院経費とその次の月の生活費として充分な金額であった。病窓から溜息混じりに口ずさんだ「天地を造られた主から来る」という言葉は、それ以後、何か自分のものとなった実感がしてなりません。
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